学校の先生になったきっかけ
先生。どうしてみかん先生は、学校の先生になろうと思ったんですか?
なろうと思ったことはない。成り行きです。成り行きで先生になりました。
でも、先生を卒業される時も、相当良いクラスを作ってらっしゃったし、実際教えるのもものすごくうまいし、最初からそういうふうな、教えるのが上手かったりとか、子供たちの心を掴むことができたのかなっていうふうに、思うんですけど。
全然です。全然。
そうなんですか。
学校も先生という存在も大嫌いだった
私、学校大嫌いで。大嫌いですよ、本当に。先生という存在も大嫌いで「絶対に先生にはなりたくない」と思っていました。
どうして、何があったんすか。
大体、教育学部にも、入る気なかったんで。
大学がまず、教育学部に入って。
家を出たくて行ける大学に!それがたまたま教育学部だった
そうです、そうです。それも仕方なくですね。成り行き。センター試験で、失敗したんですよ。
ああ、そうなんだ。
そもそも親の都合で「国立しかダメ」って言われて。だからセンター試験だけしか、受けてないんですけど、センター試験を受けた時に、数1で、なんか1個ずれで書いちゃって、マークシート。
1個ずれでしていることに、最後に気がついたんです。「あれ、ない」みたいな。「最後の問題チェックするとこ、ない」と思った時に、こうやって遡って「あ、ずれてる」つって、こうやって消している時に「時間です」って言われた。
うわー
だから、そもそも家を出たかったので、近くの大学には、行きたくなくて「どこか、家を出られる国立に、行けたらいいな」と、狙って勉強していたのですけど、数1がそのザマだったので。
しかも、最初の方じゃないですか、数1。
そう。もうね、最悪ですよね。だから「ああ、これ、やば。終わった」って思ったのが、センター試験で、だから、一次試験で行ける場所が、そもそもA判定が出た所が全部駄目で、なんか、面白い所があったんです。
あまりセンター試験、1教科、2教科とか、普通は国数理社英語みたいなので、必須で何%とかで入ってくるのが、国立の判定の仕方だったのだけど、探していたら、二次試験で面白い所があって「2教科選べばいいよ」みたいな「数1入れなくても、ここだったら二次面接行けんじゃん」みたいな所が、たまたま教育学部だったんです。
なるほど。
そこが教育だっただけで、別に教育学部に入りたいとは、思っていなかったです。
ああ、そうなんですね。そのまま大学に行って、教育学部だからという理由で、教育実習とか、行った感じ?
教育研修もやる気なし・・
教育実習ね、全然真面目にやっていないです、私。
そうなんだ。本当にその時も全然、まだなる気はなくて。
ないない。面倒くさいとしか思っていなかった。だから、本当に教育実習の当日まで、教育実習があることを、忘れていて、髪黒くしないといけないとか、あるじゃないですか、教育実習。
あ、そうですね。
あるんですよ。実習生、髪茶色い。やばい。まずい。だけど忘れてたから、その日の朝に、だいたいその頃から、飲み歩いているわけです、夜は。
朝起きた時に「今日教育実習だよ」って、一緒に行く子に言われて「え?まじで」と、髪がまっ茶茶なわけ。その時は、金髪に近いくらいの髪にしていて「黒染め、黒染め」みたいな。行く途中の駅のトイレかなんかでシャーってやったから、手、真っ黒の状態で、教育実習の挨拶に行ったのを覚えています。
で、握手を求められた時に「やばっ!」と思って。こうやって「すみません」みたいに、握手したのを覚えています。そのくらいに、あまり「まあ、こなせばいいかな」くらいに、教育実習も思っていたし、先生になる気は、全然なかったですね。
なんで、先生になっちゃったんですか。
私、大学最後で、大学休学して、留学しているんです、イギリスに。それもいろいろあって、留学したんですけど、卒業論文書くの、すごい嫌で「これは留学だ」って思って。
ちょっと意味が分かんない。
留学で就活を忘れ、1年間とりあえず臨時採用に・・・
留学しているんです。帰ってきたら、私、普通に就職活動をして、就職するつもりで、先生になる気はなかったんですけど、留学して帰ってきたら、同期の皆、就職先が決まっていて「あ、就活って、こういう時期にするもんだったんだ」という時期に、海外にいたんで、就活を忘れてたんですよね。
「あれ、今から就活しても、厳しいよ」みたいな話を聞いて「やばい。どうしよう」と思った時に、先生にも正規採用というのは、教員採用試験というのを受けて、受かった人が正採用になるわけなんだけど、臨時採用というのがあって、それは教員免許を持っていたら、登録したらなれるやつで、今先生って本当に人手不足なんです。
だから「臨時採用だったら、すぐになれるよ、就活していなくても」って言われて「そうか」と思って「じゃあ、1年臨時採用で働いたら、何か好きなことができるかな」って思って、「1年臨採やろう」と思って書類書いて出したら、仕事来たから、それで1年目、先生をやってみたみたいな感じです。
なるほど。実際やってみて、どうだったんですか、1年目。臨時採用として。
やってみて、どうなったかっていうと、私、大学真面目に行っていなくて、全然。大学の成績って、臨時採用の先生を雇うにも、ちょっと加味されたり、経験とかも加味されたりするらしいんですけど、大学からなる場合って、成績が加味されるわけなんです。
私の成績表ってすごくて「全部可」みたいな、優良可ってあるじゃないですか。だいたいあまり出席していないんです、大学の授業に。私バイトを8つとか、掛け持っていて、すごい忙しかったから、大学って、あまり行っていなくて、いつもギリギリで取っていたから、単位。ギリギリ、プラマイゼロで卒業しているんです、私。
プラマイゼロ。単位をぴったり取った。
ぴったり取った。そう。「ちょっとこういう免許、欲しいかな」みたいなのも、全然なく、プラスがない状態で、しかも全部可。自慢を言うなら、卒論だけ優の成績で卒業しているので、まあ、不真面目な生徒という成績表なわけです。
だから、私はたぶん、幸いなことに、臨時採用でも、最初から担任を持つ人は、すごく多いんだけど、とても信用できる成績表ではなかったんです。それは、いろんな人に言われましたけど「この成績表さ、本当にさ、大学適当にやりましたっていう成績表だよね」って、いろんな人に言われちゃうんだけど、そういう成績表だったから、一番最初、臨時採用で、補助教員という役割の場所に行った。担任を持たなかった。
いろんなクラスに入って、算数の補助をしますみたいな役割に幸いにもなったんですけど、算数の補助って、今埼玉で言うと、各学校に規模によって何人かとかで、配置されるものなんですけど、
その役割の方がどうなるかって言うと、だいたい6〜7月頃から、崩壊学級の補助教員に回されるというのは、どの学校でも起こっていることで、大変になっちゃった学級の、飛び出しちゃう子を見る役割みたいな。
私の場合も、もれなくそうなって、6月頃から、いろんな大変な学級の暴れちゃう子を、取り押さえる係になったので、だから「絶対先生とかになんない」と思いました、そこでも。「なんだ、このガキは」と思って。
そこらへんの、印象的な出来事って、どんなのがありましたか。
いっぱいあるな。本当、大変な学級を、いろんな学級を回っていたんで、4クラスくらいだったかな、大変な学級。印象的だったのは、4月の頃、すごくおとなしくて、良い子だった子が、だんだんと、学級が荒れていくに従って、席に着かなくなって、教室を飛び出すようにとか、なっていたりするんだけど「その子をなんとかしろ」って言われているわけですよ。
教員になる気もない、大学卒業したてのお姉ちゃんですよ。私自身、学校が大嫌いだったから、取り押さえたくもないし「でも、戻れって言わなきゃいけない立場だから、言わないとな」くらいな感じで関わっていて、
その子が画鋲をばらまいて、遊んでいた時ってのがあって、すごいその時、私自身も疲れていて「なんだこいつ、こんなの、どうでもいい」って思って「ねえ、本当、やめて。ただ座っていればいい話じゃん」みたいなことを言ったときに、その子の中では、逆鱗に触れた言葉だったんだと思うんです。
私が言った投げやりな「どうでもいいし」っていう言い方。「殺すぞ」って言って、コンパスを眉間にこうやって、突きつけられたのは、すごい覚えています、今でも。「この子に対して、すごく酷いことを言ったんだな、私」って思った出来事です。
あの頃の私には、どうしたら良いのかも分からないし、どうしたらその子の力になれるのかも、分かんなかったから、とにかく怖くて、震えが止まらなかったり、そういう子たち、暴れちゃう子を、なんとか教室にみたいな役割を、やりたくもなくやっていたから、わりと手とか足とか、痣だらけで「早いとこ辞めて、違う世界に行こう」と思っていました。
その役割は、その1年経つ間は、ずっと一緒という感じ。
そう。1年間やりました。
で、臨時採用になって、その後どうなったんですか。
校長先生の説得で教員採用試験を受けて、教員になる
私は、だから、1年で辞めるつもりだったので、教員採用試験というのを、受ける気がなかったんだけど、その時の校長先生に「受けようよ」って、すごく説得をされて、嫌々受けた。
渋々。で、受かってしまった。
崩壊学級になったら地獄。恐ろしくてしかたなかった。
そうですね。でも、受かってしまったあたりで、すごく覚えているのは「私は絶対に崩壊する学級は、作りたくない」1年間ずっとクラスの流れっていうのを、いろんなクラスを見ているわけですよ。
うまく行っているクラスも見ているし、うまく行っていないクラスも見ているわけだけど、4月、一番最初の頃、どのクラスだって一緒だったけど、そうじゃなくなって行ったのは「やっぱり先生次第の所ってあるな」って当時思って。
だとしたら「自分が来年、どこかのクラスを担任するんだったら、これは、できる準備は全部するぞ」っていうのを、教員採用試験を「しょうがない受けよう」って決めたあたりから、とにかく本屋さんに行って、教員コーナーがあるんですよ。教員コーナーの所に行って、端から端まで買った。買って読んだりみたいな感じで、とにかく読み漁ったのは、覚えています。
スイッチが入ったというか。
いや、もうね、崩壊クラスに関わってみた方は、知っていると思うけど、どれだけあの世界が、地獄のようなものかって「あんな世界にいるくらいだったら、死んだ方がましだ」くらいに思っていたんですけど、
当時。
そう、当時。だから、恐ろしくて、しょうがなかったんです。「あの世界を自分が作り上げてしまったら、1年間地獄だぞ」と思って、スイッチが入ったというよりかは、恐ろしかった。
「絶対に崩壊クラスを作っちゃったら、私は苦しいし、子供たちも苦しいし、嫌だ」と思ったら、そうならないために、自分ができることは、学ぶしかなかったみたいな感じで、いろんな本を読み漁っていました。本当に、恐怖からみたいな感じです。
本当に1年目にこうやって、いろんなクラスを見てきたからこそ、できることがあるかもしれない。もしくは、崩壊しないために、何かできることが、あるかもしれないというのが、なんとなく感じることができた。もちろんそれが、言語化できていたとか、体系化できているわけではないけどということですね。
バカみたいに学んでうまくいった教員1年目
そうです、そうです。だから「荒れないクラスを作るために」とかいう本は、とにかく読んでいた。どうしたら良いかっていうのを。
なるほどね。それは、新しい学級を持つ、4月までなのか、学級を持ってからもそうだったのかというと、
んで、そうですね。そこまでは、マネージメント、学級のマネージメントみたいな本は、メッチャ読んでいた。4月、クラスを持ち始めて思ったのは「ほぼ授業じゃないか」って思ったんです。
と言うと?
子供たちが8時間学校にいるとしたら、だいたい約6時間は授業なわけです。だいたい私は、学校の勉強は大嫌いだったんです、小学校の時も、中学校の時も「なんてつまんないんだろう」って思って、どうやってサボるかしか、考えていなかったんですよ。
4コマじゃない、ペラペラ漫画を描く日とか、よく自分の中で、つまんなすぎるから、時計で「あと10分か」みたいな時に、この10分の中を3分区切りにスタートして、自分の中で楽しむ方法とかっていうのを考えて、遊んでいたわけですよ、あんまり先生の話は聞かずに。
つまんないし、教科書を見ればなんとなく分かるし、同じことしか言わないし、ある意味思っていて、あんまり真面目に授業を受けていなかった、自分自身の経験があるから「うわー、これ、自分がやる立場になるんだ」って思った時に、すごく嫌悪感があったんです。
教科書を開いた瞬間に「つまんなそう」みたいな。「なんてつまんなそうなんだろう。これを私は6時間やるのか。すごい嫌だな」と思って「じゃあ私は、授業が楽しい先生になりたいな」って思って、まず国語算数から、先生になってからは、マネージメントという所をある程度学んだら、うまく行ったんです、最初のクラス。
すごい、1年目で?
だって、絶対に必要なことって、本に書いてあった。その通りやった。
素直に?
そうそう。分かんないんだもん。その通りやったら、わりとうまく行ったんです、1年目。それで何かびっくりされたし、初任者指導の先生っていうのが、ついてくださるのですよ、退職した校長先生みたいな方が、ついてくださったんですけど「君は将来、絶対に教育委員会に入るね」って言われたんです、始まって1週間くらいで。
「あなたはすごい。あなたはきっと、教育委員会に入って、すごく、教育を動かして行く立場になるね」って言われて「うわっ」って思ったんです。「いや、私、ただ、学んだだけ」って。ただ、普通の大学卒業生は、あんなにたぶん、学級マネージメントの本は、読み漁っていない。本当に50冊60冊読んだと思うんですけど、
すごい、そんなに。
うん、読んだ読んだ。だって、必死だった、絶対に崩壊させたくなかったから、必死だったんですけど、そこから、自分の中で分かった、原理原則みたいなものがあったんです。
それは、絶対に守ろうと思っていたから、わりと最初から良いクラスというのが、作れるなっていうふうになったあたりで、すごい初任者指導の先生がびっくりしてた。「こんな先生、見たことないよ」って。
「あなたは絶対教育委員会の中心になるね」みたいなふうに言われたりしたんですけど、ただ学んでいただけなんだけど。そこで思ったのは、授業を楽しくしたいって思って。
国語算数って毎日ある。他はたまにだけど、国語算数は毎日あるから、私は国語算数からだって思って、4月先生になってから、授業楽しくしたいなと思って、国語算数ばかり買って、帰ったら読むわけです。
どうやったら、国語って楽しくなる。どうやったら、算数って楽しくなるんだろうっていうのを、すごい考えて、初任者の代表授業者みたいなのに、選ばれるんですよ。
初任者、1年目の。
そう、1年目の人たちの、代表授業をする人に選ばれて、それで算数を代表で授業するんですけど、すっごい褒められた。「こんなの、本当に1年目ですか」みたいに言われたくらいに、すごいマニアックに、本を読みまくっては、それを真似して、試してみて、うまくいかなかったら、どうしたらいいか、また本を買って、いろいろ試しまくる、本当にしていました。
うーん、すごいな。
教員2年目で算数の代表授業に選ばれる。
だから、最初そうですよ。国語算数。算数の代表授業をやって、2年目で、自治体の一番の代表みたいな授業を、2年目でするっていうのも、異例の事態で「2年目の人がするもんじゃないでしょ」みたいなのに選ばれて、
算数の代表授業をしていたりするくらいに、なんか、本当にたぶん、恐れから来るものなんですけど、すっごい読み漁っては「どうしたらいいんだろう」っていうので、いろいろ工夫してたっていうのが、最初の頃です。
面白い。じゃあ、1年目2年目、順調に、こう
すっごいうまく行った。細かいことをあげれば、いろいろあると思うけど、1年目2年目は、すっごくちやほやされました。「すごーい」みたいな「こんなに最初からできちゃう人なんか、いない」みたいな、言われました。
それ、言われて、みかん先生はどう思ったんですか。
だってやってんもん
なるほど。
「馬鹿みたいに本読んで、やってんだもん」って思った。
国語と算数だけでも、何十冊みたいな。
いや、すごいです。すごい量を読んでました。週に5は冊読まないと、何か恐ろしいことが、起きるんじゃないかみたいな、恐怖心のもと、ずっと研究してた、どうしたらいいのかを。
算数、国語、理科、社会みたいな、どんどん横に広がっていく感じですか、それで。
あ、そうそう。そうです。そこから2年目は、算数と社会の代表授業みたいなのを、するんですけれども、社会をそこで学び出してみたいな感じで、やっていました。
すご。聞くと、それだけ聞くと、もう、全部うまく行ったのかなみたいに、聞こえるんですけど、そういうわけではない。
だから、前の動画でも、話していると思うんですけど、2年目、算数の自治体の中での、代表授業をやった年ってのは、隣のクラスが完全崩壊して、
あの動画ですね。隣のクラスに介入しまくった
そうそう。大反省っていう。そういう動画を撮っていると思うんですけど、隣のクラスが完全に崩壊して、主任の先生も具合が悪くなってという所で「隣のクラスのことも、私なんとかするんだ」みたいなふうにやっていた時期で、すごく寝不足でした。
とにかく、いろいろ自分を追い詰めていた時期で、あまりに自分のクラスを放っておいた結果、自分のクラスが自走し始めるというのを、初めて見たのが、正採用になってから、2年目。
はい、社会人になってから、3年目。
この次の1年、3年目はみかん先生にとって教師生活で一番つらい年となります・・・
この続きは後編で!
Youtube「おしえてみかん先生!」
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