先生!視聴者さんから、質問が来ています。
子供が宿題をしている時に、いつも国語でつまります。でも、私自身も、どう教えていいか、分かりません。みかん先生、どうしたらいいか、教えてください!
今回は、「読書が嫌いで、うちの子、音読もろくに読まないです」というような相談を受けるみかん先生が、国語の授業・音読が楽しくなる考え方や工夫についてお伝えします!
子供が勉強を「わからない!」と言ったときに、親は勝手に助けない
そうですね。まず、国語でつまっている時に「ここ教えて」って、子供が来てからの話かなと、私は思っていて、個人で関わる時、先生として、授業での言い方でなくて、個人として関わる時に大事だなと思ったのは「わかんない」って言っている子に「はいはい、どうしたの。ここが分かんないの」って、あまりしないようにしていた。
「わかんないー」って叫んでいたら、誰かが駆けつけてくれるものだという考えは、ちょっと甘いんじゃないかなと思っていて「分かんないので、これをこうしてほしいです」と言えて、初めて、助けが来るものなんじゃないかなと思っていたから、もしかしたら「分かんない」と言いながら、自分でやりたいのかもしれない。むしゃくしゃしながらも、自分でやりたいのかもしれない。
だから「分かんない、分かんない」って言ってたら「分かんないんだね。それで、どうしてほしいと思っているの。できることがあるんだったら、やれるけど、何、何かしてほしいことがあるの」って訊くようにしていて、手伝ってほしいと言われて「ふむふむ、それでどこが」っていうふうに、関わるようにしていました。
「子供が困っていそうだ」で「よし。私が力になるぞ」っていうよりは「困っているんだね。そうね。何してほしいの」みたいな関わりがあって「助けなんかいらない」って言われたら「そうか、頑張れ」で良いものなんじゃないかなと。
勝手にその子供のものを開いて、勝手に「これはね」ってされると、私は嫌なんですよ、私がされたら。「なんか分かんないな、分かんないな。これどうやって書いたらいいんだろう」みたいなのって、大人もあると思うんですけど、そこで「なになに」という人が現れて「はい。これはね」って説明し始められたら、私はうざいんです。
「何?」って。「頼んでないんだけど」って。ありがたいこともあると思います。ありがたいこともあると思うけど、それって何か、相手の問題に介入というか、土足で踏み入れちゃっているかなという感じがするので、私は「何かしてほしいことがあるんだったら言って」って「手伝って」って言われたら「いいよ」って言って手伝いしていたというのが一つ。
音読をすることで、言葉が蓄積される
それと、国語嫌いのお子さんは、今増えていると思っていて、勉強嫌いのお子さんが、増えていると言った方が、正しいのかもしれないけれども、国語って、算数とか数学みたいに、はっきりとした答えが「これが正解。バーン。3です」みたいなのが、ないじゃないですか。
みたいな所があって、そもそも読むのが面倒くさいとかっていうお子さんって、多いなって思っていたんですけど、国語嫌いのお子さんとか、読書が嫌いで「うちの子、どうしたらいいですか。音読もろくに読まないです」音読っていう宿題が、小学校では結構一般的に出されるのですけど、物語文とか説明文とか、声に出して読むっていう宿題「あれをすごく嫌がっちゃって、実はやっていないんです」みたいな相談って、すごく受けるんですけど、私は「音読は何がなんでも、一旦小学校のうちは、した方がいいと思いますよ」と言っていました。
それはなんでなんですか?
読書好きの子は、いらないと思う。別に音読の宿題も何も、放っておいても本を読みますという子は、別にやらなくてもいいんですよ。でも、本嫌いの子っているじゃないですか。その場合、小学校の6年生までの物語文、説明文、なんちゃら文みたいな、あの文章を一旦自分の声に出して、自分の耳で聞いて、目で追ってという、この3つの感覚器官を使ってやることって、ある一定期間蓄積されるんです。
だから、私は音読の宿題っていうのは、大事にしようっていうのは、毎年言っていました、最初に。私自身が親のハンコを自由に使えるように、自分の引き出しに入れておいて、音読の宿題は自分でハンコを押して、持って行っていたんです。
だから、音読って、親が厳しくなければ、うちの親は「勝手に宿題は自分でやっておいて」のタイプだったんで、親も忙しかったしというのもあったから、音読の宿題ってのは、題名を書いて、ハンコを押すものだと、認識しているくらい、やってなかったんですけど
国語が苦手な子こそ音読しよう!
なので、やってない人いるでしょうっていうのは、最初の時に言うようにしていて「でもね、これすごい大事な宿題で、毎日1冊は本を読みますみたいな人は、いらないと思う。でもこの文章、正しく書かれた文章っていうのを、小学校の間だけでも、自分の目で見て口に出して読んで、それを耳で聞くっていうのをするだけでも、ある一定の正しい文章の形っていうのが、頭に蓄積されるよ」っていうのは言ってたので「音読大事だよ」っていうのは、めっちゃ言ってました。
すらすら読みっていうのができるっていうことが、文章を理解する一歩、最初の1歩だ。すらすら読みができないのに、読解力とかっていうのって、なかなか難しくて、すらすら読みっていうのは、読んでいるところの先を見ながら、自分で読めるようになるっていう
ああ、そういうあれなんですね
そうそう。目で追っている先は、もうちょっと先なんだけど、でも口に出している所は、もうちょっと前みたいなところが、できるようになると、すごくいいので「音読大事だよ」っていうふうに言ってました。読書が好きだったら全然いい。いらない。読解力っていうのは。
でもそうじゃない子に関して言えば「音読は命」くらいに思っていて、音読競争みたいなのを、クラスでよくやってましたね。音読のカード以外に、何回読んだかで丸をつけて、自分で黒く塗りつぶしていくだけなんですけど「100回読んだぞ」みたいなやつ「すごーい」みたいな。「スラスラ読めるようになる、文章をっていうのは、すごい大事だよ」っていうふうに伝えてました。それで読解力ってガンって上がるんですよ。本当に。
そんな違うんですか?
苦手な子には指追いも効果的
音読音読って言って「親が忙しいから、聞いてもらえる人がいない場合は、聞くからいつでも。休み時間に読みにおいで」って言って聞いてた、よく、子供の音読。そのぐらいに、苦手な子は、指追い読みっていうのをするといいんですけど、一文字一文字、指で追いながら「今ここ読んでるぞ」っていうのを、理解しながらっていうのを、1年間一緒にやっていくだけで、かなり読めるようになっていたし、それである一定の読解力っていうのは、ガンって上がるんですよ。
ああ、そうなんですね。
親は、とにかく文章を一緒に楽しむ存在となる
そのくらいに、まず文章を読むっていうのが、すごい大事で、そもそも、それが「つまんない、嫌だ」っていう場合、私がやっていたのは、教科書に書かれている文章を誰よりも楽しむっていう。
と言うと?ちょっと分からなかった。
例えばですよ、色々出てくるんですけど「タヌキの糸車」とか「大造じいさんとがん」とか、いろんな物語文が出てくるの。「一つの花」とか「ちいちゃんのかげおくり」とか。あれを、誰よりも「ちいちゃんかわいそうね」ってなるっていう「このちいちゃん。分かる?このちいちゃんはさ」みたいなのを、こう誰よりも「この文章って素敵よね」っていうのを感じながら、子供の音読聞くんですよ。
「あーそこで」みたいな合いの手を入れながら。子供は「うるさいな」って言いながら、読むんですけど、でも「そこなんだよ、そこ。分かる?この痛み」とかっていうのを言っていると、子供たちもわりと興味を持ちながら、読み始めるみたいな感じがあって、読まれている音読を「今ちょっと間違えたので、もう1回そこからね」とかって「またつっかえたよ」みたいにしていると、子供も読むのが、つまんなくなっちゃうから
ああ、なるほどな。
「おおっと!」とか言いながら、楽しく聞く。物語文とか説明文っていうのを、すごく楽しんで、一緒にいるっていう存在が、すごい大事だなって、まず国語の基礎としては思っていました。なので、まず文章というものを楽しむ。
国語のテスト、文章問題のコツ「考えるな、感じるな。探せ」
テストの勉強で伝えていたのは「テストは、あなたの感受性とか聞いてないから。テストで『きっと、ちいちゃんはこう思ってたんだと思うんだよ』みたいないところ、申し訳ないけどテストは聞いてないから、本を楽しむっていうことと、読書を楽しむっていうことと、テストっていうものは切り離して考えた方がいいよ」って子供に伝えていて
「テストは宝探しです。聞いてる文章があるでしょ。それを聞いてるなと思うとこ探すでしょ。そのまま書けばいい。そのまま書けば正解。それ以外の『自分はきっとここで、本当は悔しかったと思う』みたいなことを入れたら、バツになっちゃうから、テストは切り離して考えましょう」って言って、宝探し練習を、よくしていた。
なるほど。
同じ言葉を探すと、その前後に答えはあるみたいな、解き方があって、国語のテストって。その宝探しゲームみたいなのを、一旦一緒にテストの解き方みたいなので練習して、「いいか。考えるな。感じるな。テストは、国語のテストは、探せばいいんだ」とかって言いながら、一緒にやってた。
「そんなんなの?」とかって返ってくるんだけど、「そんなんだよ」って「だって読解力って、ここに書いてあるこれは何ですかって言ったら、これですって言うためのテストなのに、あなたの感受性とか聞いてない。聞いてないから、感受性は他のとこで出してもらって、授業とかで出してもらって構わないんだけど、テストの中では、宝探しゲームをすればいいんだよ」って伝えていたりしました。
国語の勉強で言えば。だから読解のプリントとかで、子供がつまずいてる場合は、一緒に宝探しゲームしてあげてください。「全ては本文に書いてあります。さてどこでしょうか。5文字。5文字探すんだ」みたいなゲームを、一緒にしていた。
読解力を高めたいっていう意味で言えば、まず読むこと。だから読書が嫌いならば、音読を一緒に楽しむことだったり、あとは前の動画と、つながっちゃうんですけど、親御さん自身が読書を楽しむこと。
「本を読むって、楽しくてさー」って「この本を読んだらさ、こんなこと書いてあってさ、どう思う?」みたいな話を、日常的にされていたり、親御さんが読書をしている姿っていうのを、お子さんが日常的に見ている場合って、やっぱり読書に触れやすくなるのかなって思うので、学校の授業をちゃんと聞いてるかっていうよりは、本をどれだけ読んでいるかっていうのは、やっぱり本来の意味での読解力っていうところに、つながってるんじゃないかなと思っていました。
なんのために国語を勉強する?勉強することのメリットを伝える
すごい大事なのが「なんで国語勉強するんだっけ」っていうところを、親御さんがどう捉えられているかだと思います。国語という名の教科で学ぶのは、日本人だけじゃないですか。アメリカ人が国語っていうもので習うのは、英語じゃないですか。日本人しか学ばないんです。
日本で生きていく以上、この国語力っていうのが、全てに影響してくる。YouTuberにせよ、何にせよ、分かりやすく話してるはずなんですよ。HIKAKINもはじめしゃちょーも。これはなんか例えとして正しいのか、分かんないけど、分かりやすく話してるはずなんですよ。
その話す力で、相手がやってることを聞く力で、それを書く力っているのは、パソコンになるかもしれないけど、全て日本で生きていくのならば、基礎基本になる、私たちの母国語だ。日本人しか学ばない、日本でしか、こんなに深く習えないっていう言語を、学んでいるんだ。それにはたくさんの文章に触れて、たくさん文章を書いて、たくさんの言葉を話して、たくさんの文章を聞く。
もうこれに尽きるんだ、これが最高なんだみたいな。「日本語、いいよね!」みたいなふうに、私は伝えていて、国語ってこうしなければならないというより「この日本語を使って、どう人生を歩んでいきたいかっていう、大事ところを勉強してるんだよ」っていうのを、必ず学期の最初に伝えるようにしてたんですけど、そんな風に捉えた上で、一緒に国語を楽しめたら、良いんじゃないかなと思います。
それ、すごいいいなと思っていて、なんか話を聞くことと、すごく通ずるなと思っていて、反応をこちらがすることで、子供が「あ、この人こんなに反応してくれるんだったら、楽しくなっちゃうな」っていう感覚を、ちょっと分かるなと思って、聞き方を改めようと思いました。そこはすごく面白いなと思ったかな。
国語の授業を楽しくするには?
大事にしていた一番最初の「読み聞かせ」
そうだね。国語の授業でね、私大事にしていたのが、物語文の場合、最初の判読。判読っていって、先生がお手本読みじゃないですけど「これから勉強していくのは、こういうお話です。じゃあ最初まず聞いてくださいね」って言って、最初1回読む回があるんですよ。一番最初の授業。
先生が読む。
読み聞かせだよね、最初のね。
なるほど。
メッチャ大事にしてた。ここで一番最初に聞いた時に「あー、なんか感動だ」とか「おもしろ!」とか「えー!」って思ったらさ、開く気になるじゃない。そうじゃなかった場合、開く気にもならなかったりするじゃん。感動させたかったんですよ。
私、だから、音読、これは道徳もそうなんですけど、道徳とか国語とかの、最初に読む回っていうのを、すごい結構な気合を入れて臨んでいて、だから1回読んで録音して、自分で聞いて「あー、ここの読み方、もうちょっとこうだな」とかっていうのを印つけて、もう1回読んで聞いてくらいで、本番くらいに、やっていたんです。
すごいですね。
だから。最初に私のクラスになった、最初の判読で、目玉が見開くんですよ。
面白いですね。
「先生、すごくないっすか」って、最初の時によく言われてた。「そう。これ好きなの。だからずっとずっと大好きだよ」みたいな。犬が死んじゃう話があるんだけど、涙を溜めて思いを込めて、それで嗚咽が出てしまうとかそういうことではなく、
感情移入するっていうのは、どういうことかっていうのを伝えたくて、1年生なんかポカンなんだけど「ずっと大好きだったよ」っていう、1年生の犬の教材でも、すっごい大事にしていた。「物語文を読むって、こういうことだよ」って「自分が生きてない人生が生きられるんだ、もう一個」っていう感動を伝えたくて、やってた。
なんか、演劇じゃないですか。
そう。子供たちが、その文章の中に入っていく前に、相当どっぷり浸かっているんです、私はその世界に、ちいちゃんならちいちゃんの世界。ちいちゃんの苦しみみたいなのを、すごい持っているから、子供が読んでる時に「そこなの!」とかって言ったりする。
子供「はあ?」ってなる。
「なんっすか」「今の読んだところ、いいね。今の良かったよ。はい続き」とかする感じで、聞いてた。楽しんでた。私自身がね。それだけだと思います1番は。
素晴らしいですね、それ。
語彙力は感情のコントロールにつながる
やって。先生塾の先生たちにいつも言うのは「国語、どうやれば、楽しくなりますか」って、まず自分がその文章を、誰よりも好きになってください。じゃないとその楽しさは、伝わらないから「楽しくねえな」と思ったら、あと5回読み込んでみてください。楽しくなってきますよって言っています。
語彙力が自分の感情のコントロール力に直結するって。これは「悲しくて、何か切なくなります」っていう、この悲しい切ないとか
微妙なニュアンスの違い
微妙なニュアンスあるじゃないですか。悔しいもそうだし、情けないもそうだしみたいな、この語彙がない場合、全部、ムカつくになったりするんですよ。全てがムカつく。
やだ。つらい。
うるせえ。やめたいとかの語彙だけしか使っていないと、すごく感情のコントロールが難しくなるというくらいに、語彙力とそういうものは直結しているから、本を読むことって、すごい大事だと思うよって、すごい言っていた。すごい言っていたし、子供たちの目の前でよく本を読んでいた。
キンコンの西田さんが言っていたんだけど、コミュニケーションの中で、大きく分けて2タイプいる。一つは、単語脳を持っている人で、もう一つは、文脈脳を持っている人。
単語脳を持っている人は、自分が印象に残ったキーワードだけ拾って、そのイメージがついたら、勝手に想像を膨らませて、判断する。TwitterやSNSって、結構、騒ぐ人たちというのが、このタイプで、文脈のタイプは、例えばホリエモンが、結構汚い言葉を使うじゃない。馬鹿とかアホとか、結構普通に使っている。
でも、ホリエモンとかについている人は、文脈脳を持っているから、そういう汚い言葉よりも、内容がどれだけ良いことを言っているか、正しいことを言っているかだけで判断するってのが、あるのかな。
うん。ムチャクチャそう。
そういうのは、やっぱり小学校の国語の教育の中で、培ったのが、影響があるんかな。
メチャメチャあります。メッチャあります。私も西野さん好きだから、メッチャ聞いて、よく言っている。その通りだと思う。だから「あいつムカつくんだよ。マジ、ぶっ殺すぞ」の文脈でしか話さない場合、その人生を生きちゃう。
何か気に入らないことがあると「あいつムカつくんだぞ、マジで殺すぞ」って、100のことも、1くらいのことも、同じように言っているんですよ。他に、ムカつくの前の段階の言葉みたいなのが、入っていない場合そうで、
じゃあそういう語彙力を、どこで身につけるのって言ったら、私は漫画でも良いと思う。漫画でも良いと思うし、YouTubeの動画でも良いと思うし、本を読むなら本でとか、会話の中で身につけても良いと思うんだけど、やっぱり動画とかゲームとかって、能動的じゃないんですよ。
あ、そうか。受動的。
受動的に受けることって、たいして頭の中に入らなくて、本って開かないと進まないし、自分が読み進まないと、進まないじゃないですか。でも、ゲームとか動画とかって、自分がボケっとしていても、フワっと進むじゃないですか。
これが、能動的な脳と受動的な脳なんですけど、能動的に脳を働かせてないと、やっぱりそういうものが入ってこない。入ってこないから、自分の頭の中に蓄積されないで、すごく単語脳になってしまうみたいな所って、すごく今あると思っていて、だから、学校の国語の授業を、つまんないかもしれないけど、音読大事。
本を読むってこんなに楽しいんだよ。を伝える!
音読大事なのと、国語の授業、私はね、いろいろ工夫してきたから、先生方、頑張りましょう。辛いと思うけど。本当に思う。良い授業、ディベートしたり、いろいろやったら、この授業、メッチャ楽しいんですよ。
「日本語やばくない?」みたいな「すごいよね」みたいな感動とかが生まれたりする授業を、作っていけたら、日本人もまだまだ、日本語で考えるからこその、深まりとかが生まれたりする言語だと思うので、国語を楽しみたいなって、改めて思います。小学校の物語文の学習って、私は「本を読むってこんなに楽しんだよ」を伝えることを目的としていたのね。
素晴らしいですね。
そう。だからこの学習を通して、子供たちが「本読むって、世界が広がって楽しいね。ゾクッと来たりするよね」みたいな感覚を、どうしたら子供が味わえるだろうで、授業を組み立てていたから、それ、すごい楽しかったんだよね。私は小学校の頃、自分が学生の頃は、説明文が嫌いだったの。
今も苦手。
物語文は好きなんだけど、説明文はつまんなくて、あんまり苦手だったんだけど、先生になった頃、説明文に対して、すごく苦手意識があった、自分自身。でも、よくよく考えてみた時に、就職してから読んでるのは、ほぼ説明文じゃんと思って、物語分を読んでいる暇なくなっちゃうと、授業の仕方もそうだし、学級経営の仕方もそうだし、自己啓発本だって、全部説明文じゃねえかって思って、
私説明文の素晴らしさっていうのを考えた時に「これは尊いな」と思って。だいたい説明してんじゃん、こういう動画も。物語語ってないじゃん。
国語の学習指導要領って言って「こういう事を教えましょうね」の目的みたいな部分に「文章の美醜を分かるようにする」って書いてあるの。
美醜って?
美しい醜い。文章の美醜が分かるって、すごい大事で「こう書いたら変じゃない」みたいな流れがあるじゃない。
てにをはとか。
「ここをこんなに言ったら、しつこくない?聞きづらくない」みたいな所の美醜って、じゃあ、どうやって身につくの?っていうと、そういうのが、書いてあるんだよ。どれだけの蓄積ができるか。
美しい文章を、聴きやすい言葉というのを、どれだけ耳に入れ、目に入れ、蓄積できて「これは美しいね。これは、ちょっとな」というのが、感覚的に分かるようにするようにっているのは、目的で入っているんだよね、国語の学習っているのは。素晴らしいなって思って。
Twitterの文章を書く時に、結構noteで、参考になるような記事を買ったんだけど、その中の一つで、自分の口に出して読んだ時に、どれだけ気持ち良く聞こえるかっていうのを、
ああ、大事ね。確かに。
それがまさに、音読の部分が。
そうそう。1回口に出して読んでみると、良いんだよね。書いた文章って。
それがまさに、音読の部分が。
まとめると・・・
一緒に勉強を楽しんでください。
国語って、日本語って、奥が深い。こんな、海外の方が学ぶ上で、複雑だと言われる言語って、ない。だけど、日本語だからこそ表現できる奥深さとかがあって、平仮名カタカナ、漢字って、どう使い分けんのとかっていうのって、これからのSNSだって、すごく使っていく話だと思うのです。
日本の作品って、良いものがたくさんある。その子供たちが学んでいる、今の物語文、説明文が相当面白いものだと、私は思うし、良い作品たちだと思うので、それの何が良いんだろうみたいなのを、一緒に楽しんで、学んでいるものが将来、その子にとって、どう役に立っていくのかっていうのを、一緒に楽しみながらやるで良いんじゃないかな。
テストは「考えるな、感じるな」は、私は名言だと思っていて。国語のテスト、文章題の秘訣「考えるな、感じるな。探せ」っていうスタンスでやっていたので、それって、ゲーム感覚で、宝探しなんだよ。「宝はどこだ」ってやると、わりと楽しくやっていたから、そのつもりでやってみると、面白いんじゃないかな。参考になるかな。そう思います。私は国語は、大好きでした。
ありがとうございます。
私漫画も良いと思うんだ。漫画によっては。スラムダンクとかは、人類皆読んだ方が良いと思うよ。
まさか、国語でこんなに盛り上がるとは。
Youtube「おしえてみかん先生!」
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