
もしもアドラー心理学をアンパンマンが使ったら【他者貢献と自己犠牲の違い】
子どもから「友達を手伝ったら先生に怒られたんだけど、なんで?」と質問されたら、どう答えますか?
できる子ができない子を手伝うというというのは、クラスでも兄弟間でもよくあります。その優しさを育みたいと思いながらも、やってもらう子ができないままになってしまう。それも気になりますよね。
ここで、「手伝わないで!」というのはNGです。
今回は、手伝ってくれる子のサポート力を育みながらも、できない子もできるようになる声かけについてのお話です。子どもの自主性と優しさを同時に育むための具体的な関わり方について、のんちゃん先生が解説します。
先生、はい。最近子どもからもらった質問で、面白い質問があったって聞いたんですけど。
はい。『椅子をしまってない子がいました。その子大変そうだったからしまってあげました。そしたら担任の先生から「手伝わなくていいから」で怒られました。僕はなんで怒られたんでしょうか?』っていう質問を受けました。
これ本当になんか、今までも結構いろんな子から受けてきた質問で、あるあるなんですよ。なのでちょっとご紹介したいなって思ったんですけど。これ先生側にはいろんな事情がありまして。
事情。
そうなんですよ。これ先生側にはいろんな事情があるんです。
例えば、手伝ってあげた子がいつも自分で自分のやることをしない、いつも友達任せで、あの、もうちょっとその子に成長してほしいっていう場合。
『手伝わないで。その子自身がやることだから、その子のやることを取っちゃいけません』みたいな意味で言われることっていうのは多いですね。
だからよく低学年であるのは、やっぱり早い子がいて、用意するのが早い子がそのゆっくりな子のをやってあげちゃうと、ゆっくりな子が何にもせずにボーっとしてたりする。『全部友達がやってんじゃん』みたいな。『全然自分でやってないじゃん』みたいなのって、その子自身のこう、やる気が育っていかないから。だから『手伝うのをやめなさい』ていうのは、結構その学校で聞いてびっくりしない話かな。よくある話。
よくある。僕自身でも、お姉ちゃんが妹のこと全部やっちゃう時があって、妹が何もしなくなるからやめてねっていう話はしたりします。
そう、それと一緒ですね。私がその質問してくれた子に答えたのは、おそらくこういう意図があったんじゃないかなと。その子自身にやって欲しいなという意図があったんじゃないかなっていう風に伝えた。
よくあるのが、例えば配り係さんっていう人たちがいます。こう配りボックスにノートとか配るものがこう積まれた時に配る当番です。
でも私のクラスとかって、どんどん仕事は見つけてどんどんやっていきましょう、みたいなことをすると、配り当番さんから苦情が来たりはするんですよ。
帰りの会の時に『お仕事やってない人』で呼ばれて、『先生、異論があります。配ろうと思ってもいつもありません。配りボックスに勝手に配る人がいます』と。『気づいた人が勝手に配るので僕らのお仕事がありません』っていう苦情をもらって。それどうしたらいいだろうってみんなで話し合ったこととかはありますね。
だからその現象としては、その人の仕事を取っちゃう。その人自身がやった方がいいことを取っちゃうことに対して、『勝手に手伝うのはやめてください』みたいな話が出るんだなと。
そのお姉ちゃんが妹のことをやっちゃう、お姉ちゃんが弟のことをやっちゃうとかも一緒だなっていう風に思います。
で、私は心がけていたのは、『手伝うのをやめなさい』は言わない。だって『手伝うのをやめる』っていうのは、なんか正しい、本当に生きたい目的に進んでない気がする。それを言い続けてると、誰も人のことを手伝わないクラスになるんですよ。人が困っていても『いや、手伝わないよ、自分のことは自分でしょ』っていう未来が作りたいんだったらそれを言い続ければいいんだけど、そうじゃない。
その人がやった方がいいことはその人に任せるし、そうじゃない、本当にこう困ってる時とか、みんなで力合わせて急いだ方がいい時には手伝うし。
なので私だったらですよ。私だったら、いつも椅子を自分でしまわない子がいます。で、『自分でしまうんだよ』っていう声がけをしてます。そこでよく気づく子が出てきて、しまっちゃいました。
そしたらその子には『ありがとう』ですよね、まず。『しまってくれてありがとう』。
『で、ほら今、まるまる君がしまってくれたわけなんだけど、本来は自分でやった方がいい話なんだよね。で、しまえるようになりたいと思う?しまうことの意味っていうのは、使ったものっていうのはあの、戻すっていうのは礼儀やマナーとしてすごく必要なことだし、自分の椅子がいつも出しっぱなしっていうの、すごく だらしなく見える話だから、やれるようになった方がいいんだよ。やれるようになりたいとは思いますか?』って言って、『はい』。
ま、だいたい『はい』。『そうだよね。したらさ、今気づいてくれた○○君にも協力をお願いしたいなって私は思うんだけど、どうだろう。なんか気づいた時に「椅子、椅子しまった方がいいよ」って私も声かけるんだけど、○○君も一緒に、もし気づいたら声かけてもらえるとすごく助かるなって思う。いい?』っていうのをその子にも、○○君にも確認を取って。
『○○君だったらきっと優しくたくさん気づいて言ってくれるねって。気づけるところがきっと増えるね、ありがとう』って2人に言います。
これがその人のこう、成長に対して協力できるところをしていくっていう関わり方だと思うので。
で、えっと、それが例えばその○○君が『おい、先生に何度も言われてんだろう、椅子しまえよ』みたいな言い方をしたら、『ちょっと待って』って。『その言われ方して、しまいたいなって思う?じゃあ今度から私も○○君に言ってあげるね。「何度も丁寧にかけつってんだよ、丁寧にかけよ」』
『やる気になった?じゃあ人への声のかけ方っていうのは、どう言ったらその人がやりたいと思うかなっていうのを考えながらかけられるようになると、めっちゃかっこいいと思うよ』みたいな関わりをずっとしていくんですよ。
で、そうするとクラスの中で起こる声かけっていうのは、すっごいあったかいものなんです。結構『ほら、みんな自分でしまった方がいいと思うよ』みたいな声がかかって、『あ、気づいてみんなが自分でしまう。やった、みんな自分でしまえたね!』みたいなことだったり。
あの、これって誰かが全部ずっとやり続けてあげるものだから、『あの、私、椅子しまってます』みたいな、ここ3人くらいいて10人くらいの男子がしまわない、みたいなのって、将来を思った時にあまり健全じゃないんですよ。いつも椅子をしまわない人っていうのと、いつも椅子をしまい続ける人っていうのは。
先生っていう存在がいて『ありがとう、何々ちゃん、椅子しまってくれてありがとね』っていう存在がいる場合は、ずっとそれって成り立つのかもしれないけど、それ会社の会議でずっと私、椅子しまい続けたら『ふざけんな、この会社』と多分思う。3回目くらいで『自分でしまえよ』と思う、みたいなことを。
あの、まあ善意でやってあげるのとか、こううっかりしちゃった時にしまってあげるっていうのは全然悪いことじゃないと思うんです。
ただ、あまりに目に余る、『全然自分でしまわないよね』っていう時には、『一緒にしまえるようにご協力お願いね』って言って、温かい声がけで、優しい楽しい横の関係での声がけっていうのが起こるようにしていく。
これ、お姉ちゃんと妹も一緒だと思うんですよね。はいはい。あの、まあお父さんやお母さんから見ていて、『そろそろ妹もできるようになる時期で、こういう時って声かけレベルアップ大作戦なんだよね』って。
手伝ってあげちゃうのって一番楽なのね。一番楽なんだけど、その妹のことを思うと、妹がいつまでたってもできるようにならない。で、これってすごく、あの、なんだろう、言えば一番楽で簡単で、自分に賞賛が集まるから、自分が褒められるためだけに動いてる人に見えちゃうから、『レベルアップ行こう、お姉ちゃんきっとできると思うよ』って。
『こうやってやるんだよ、できそう?できたね』っていうのがお姉ちゃんができたら超かっこいいじゃんって。『一緒にやろう、一緒にやろう』って、一緒にその、その子のサポートをする練習するんですよ。
だからこれ、5年生とか6年生とか持ってる時に、1年生2年生に関わることって多いんです。仲良し学級とか兄弟学級みたいな感じで。その時も、やってあげちゃってる子の横に行って、『うん、もったいないよ、それ。2年生が「自分でできたよ」って言わせられたら最強だから』って。
『そのサポーターとしては、全部やられちゃったら嫌じゃない?』って。『ちょっと2年生の時のこう心に戻って考えてみてよ』て。『5年生6年生の人がやってきて、「あ、全部やってあげる、全部やってあげる、はい」ってやってもらって、楽しい、嬉しいってなったと思う?』っていうのはクラスでよく話してたんですよ。
『なんないよね』って。『楽しいのは、2年生がちょっとチャレンジングでできるようなものを用意し、「一緒にやろ、できたね」「これもできそう、任せていい?」「できたね、できたね、なんて素敵な2年生なんだろう、一緒に組めて嬉しいな」って言ったら最強だよ』って。
『それができることが、その自分よりもちょっと、こうなんか小さいとか、ちょっと経験があまりないっていう人に関わる時の、一番素敵な関わり方だと私は思ってるから、一緒に練習しようよ』って言って一緒に練習するんです。
関わり方がどんどんどんどんうまくなっていく。『ちょっと前を見せて、できるよ、できるよ』って言って手を離すっていう練習をしていく。
これってその子どもの頃から得意不得意はあるわけだから、算数を教えてあげるもそう、幅跳びを教えてあげるもそう。やってあげちゃって『お、できねえな』って言ったらそのはずっと育たないわけで。
『一緒にこうやってやろうよ、あ、できたね、できたね、ここいいね』っていう風にできる人になったら、いろんな人と気持ちよく関われて、あの『あなたから聞きたいな』っていう人が周りから集まってくる人になるんだよっていう話をクラスでよくしていたし、それを子どもたちによく伝えて一緒にやってたなと思います。
とはいえ、先生の方から『先生の言うことだけ聞いてればいいのよ』みたいなこと言っちゃう先生もいると思うんですけど。
いる。よく聞く、よく聞く。よく聞くし、いや私本当にその言葉嫌いだから『あー』って思うんですけど、聞くと。
ブラックな部分が出るわけですね。
『そういうことばっか言ってから育たねえんだよ』て思いますけど。教育とか子育てに関わってる人は言わない方がいいよ、それ本当に。『言われたことだけやってなさい』。
ええ、ですよね。
ずっと言い続けなきゃいけませんよ、やること。やりたいですか?それって思うから、絶対言わない方がいいと思います。言っちゃってるなと思う方は。
じゃあ、余計なことをしてくる時に出てくるんですよね、それ。『今それやらないで』的なことを子どもがやる時に出てくる言葉なんですよ。『言われたことだけやってて』
例えば図工の時間です。『この絵の具を使ってこうしてこうしてこうして』っていうのを言ってたのにも関わらず、違う道具を使って何かをしようとしたとか。席を立って友達のところに行って『もっとこうやったらいいんだよ』とかってやり始めることで、すごく教室が煩雑になってうるさくなった、みたいな時に出るんですよ。『言われたことだけやってなさいって言ってるでしょ』みたいなのが。
それ、もったいなくて。例えばなんか他のもの使ってやり出す子がいた時に、その他のものを使うのがまずいことだった、これは使っちゃいけないものだったっていう時には、ちょっとストップしていい?って私よくやるんですよ、活動自体を一旦ストップ。だから家族とかがいる時に、色々みんながなんか色々やってる中で言っても聞いちゃいないから、人って。『ちょっとストップしていい?』って。
『で、今あの、この絵の具を使ってこうしようって言って、今、班にこうやって絵の具を配ってこの絵の具を使おうね、で、この道具を使おうねって言ったでしょ?』って。『で、○○君は、えっともう1回教えてくれる?何をしようと思ったの?』
『あの道具を使った方が面白そうだと思ったから使おうと思った』
『なるほどね、それで取りに行って使おうとしたわけだね。て、その発想はね、めっちゃいいと思うんだ。で、なんだけど、この道具、この教室に1個しかないんだよね。で、○○君が使ったことによって起こること予測するよ。「え、いいな俺も」「え、なんで、いいな、私も使いたい」ってなった時に、この道具は1個しかない、ここには37人の人たちがいて、1人使ったことによって「私も」「ずるい」「なんで」っていうのが起こることを私は恐れています。その上で○○君はこれ使ってみたいと思う?どうしたらいいと思うかアドバイスください』
って子どもたちに投げる。
めちゃめちゃ説明するんすね。
する。だってなんで悪いかは言った方がいい。そしたら自分で考えて、『あ、そうか、これは1個しかないから自分が勝手に使ったらなんか大変なことになるな、この教室では』っていう判断がつくようになるから。
『あ、これはダメだな』って思った時に、ダメな理由っていうのが自分の頭の中にちゃんとこうあることってすごい大事で。よくわかんないけどダメっていうのは考えない子なんですよ、本当に。
だから『こういう理由だからダメなんだよ』と。『で、それだから絶対禁止にするつもりは、今回の件に関してははないんだよね、危険なわけじゃないし。で、どうする?』って言った時に、子どもたちが『いや、大してそれ、あれだって、あんまり効果ないと思うからやめとけば』みたいな話が出たり、『え、じゃあ班ごとに10分ずつくらいで回していきますか』みたいな。『使いたい人、その班でその10分で使うようにする』みたいなアイデアが出た時に、『いいね、いいね』って。『そ、そうなったやつで行く。あ、それだったらいいです、どうぞ』にするし。
友達のとこに勝手に行ってアドバイスをし出す、で、そのことによってすごくうるさくなったっていう時にも、『ちょっといいですか』っていうので相談します。
『今くらいうるさいと、あの、どうなっていくかって言うと、なんかみんな出歩いてもいいじゃんみたいな感じになって、大体あの、筆持って出歩いてる人が、ほらその辺にいるからポタポタポタポタ垂れてるし、このまま45分間進んだら私は教室は汚くなりそうだし、絵は仕上がらなそうだし、とっても心配なんですけど、どうします?』って。
『その友達にアドバイスに行くのが悪いことだとは思わないけど、今の状態はよろしくないと思うんだけど、なんかみんなからいい案ありますか?』って聞く。
で、なんか図工の時間のいい解決策として、結局私が『あ、いいねこれ』と思ってずっと、その最初教えてくれたのは、こういう風にやったらっていうアイデアもらったの子どもだったような気がするけど。
道徳の時間も大体ジブリかディズニーのあの、音楽をすっごいちっちゃくかけてるんですよ。すごいあの楽しい音楽が。
『これが聞こえなくなったら静かにしよう』という。『声を別に聞こえる範囲でおしゃべりしてる分には、立ち歩いてアドバイスとか、「え、これどうやってやったの?」とかっていうのはいいことにしちゃったんですよ。
ていうのは、なんで図工ってなんか発想もらいたいし、あの、『え、それどうやってやったの?』とかっていうあのアイデアの交換ってめっちゃいいじゃないですか、本来は。なんか絵って1人で絶対黙々、あの人に話しかけたりせずにやるものです、みたいなものじゃない。
なんか『あ、いいねその色、どうやって作ったの?』とかって言いながらやっていくのって楽しいしいいと思ったんですよ。
だから、おしゃべり自体が悪いことではないと思ったら、あ、じゃあうるさくなることでなんかこうガチャガチャガチャガチャなっていくのがよろしくないなと思ったので、音楽をめっちゃ小さくかけてて、これが聞こえなくなった時に子どもも『聞こえないよ』って。『もうちょっとボリューム下げよう』っていう声が子どもたちから起こって、『あ、そうだね』て言ってまたすーって静かになるっていうのを、なんかこう10回くらい繰り返しながら図工の時間ってこう過ぎるようになってたんですけど。
だから、『言うことだけ聞いてなさい』って言うと本当に考えない子になるけど、『これはこういう理由でまずいと私は思う、その上でどうしようか』っていうのは子どもに投げかける、一緒に考える。それで出てきたアイデアをやってみる、やってみた上でどうだったか検証するっていうのを子どもたちとずっとやり続けていくと、何も言わなくても子どもが考えるようになるんですよ、これ。
だから、私のクラスはだから大体は静かにとか、大体はこうなんかこう秩序を守りながらこう進んでいくわけですよね。子どもたちが自分で考えてるので。『今のうるさすぎだと思うよ』とかって、『あ、そうだね』とかっていうこう声が起こりながら進んでいった時に、
『え、どうだろう、これちょっとまずいんじゃないかな』って思った時に、私って大体立ち上がるんですけど、立ち上がると『先生分かりました、分かりましたから。どうしますか、皆さん』
『今の先生が言おうとしてたこと、僕は分かったんですけど、どうですか?』って言ったら、『うん、ちょっとうるさいと思うし、並んでる人たちがこんなにぐちゃぐちゃなのはやっぱりあの、どこで並んでるのか分からないし、あの、その席の周りの人たちにすごく迷惑がかかってると思う。どうしようか』って。『列こっちに持ってこようか』とかって。
『そう、そっちのその人がいないところに持ってって。その上で先生、あの、いつもの図工の音楽かけてもらってもいいですか?それでちょっとみんなが静かにできるようにしましょう、いかがでしょうか?』
『とってもいいと思います!』みたいなクラスになるんですよね。
そういうのを子どもたち自身がとか、お姉ちゃんがとかお兄ちゃんがとかっていうのが考えられるようになって、『いや、これはもう本人ができるようになるから、パパほっといた方がいいよ。できるよ、きっと』みたいなのを言ってくれるようになるんですよ、子どもが。
それめちゃくちゃいいすね。
言ってくれるようになりますよ。フリースクールの子たちとか結構そうだな、ずっと関わってる子たちは。
『先生、もうこの子できるから、こ、手出さない、手出さない』っていうのを私が止められた。『すいません』『そっか、あなたの方がよく見てるもんね』っていうような、こう『できるんね、できるね』っていうのが。
こうなんかこう年上っていう立場で関わる時も、見ながら進んでいくんだよっていうのを学ぶいい機会だから、ただただ『手伝うのやめなさい』『言ったことだけやりなさい』『勝手なことしない』みたいなことを言わずに関わっていった方がいいんじゃないかなと思います。
まとめる と、これは手を出した方がいいとか、出さない方がいいとかっていうのは、こちらの評価、判断、分析なんですよ。で、それを『そうしなさい』って言うと、結局、勝手なことを自分からしない方がいいとか、もう人のことは人、自分のことは自分みたいになったり、『もういいよ、妹のこと手伝ったら色々言ってくるから、もういい』みたいになったりするともったいなくて。
共に声かけ合いながら、これは手出した方がいいかな、出さない方がいいかな、どっちの方がその子にとっていいかなっていうのを考えられるように、『どうして私がここで手を出して欲しくないと思ったか』『どうしてここでやめて欲しいと思ったか』っていう意図を伝えた上で、その上で『あなたたちはどうしたいと思う?』っていうアイデアを一緒に実験していくっていうのをしていくと、自分のあのサポートレベルも上がるんですよね。
自分の考えで、自分のアイデアだけでやってるのって、これまで自分が受けてきたサポートの中のアイデアでしかやってない、見たことがあるやつ。でも子どもたちのアイデアってすごい面白くて、あの音楽かけるっていうのも確か子どもが言ったんですよ。『あ、それいいね』みたいなのがどんどんどんどん、自分のサポート力みたいなのもお互いこう高め合っていけるものだと思うので、ぜひぜひ、『やめなさい』じゃなくって、『理由はこうなんだけど、あなただったらどうサポートする?』『例えばこんなやり方があるんだけどどう?』みたいなのを一緒にやっていくと、すごいいいんじゃないかな、お勧めです、と思います。
『やろうとしてる時に、これさ、自分で行けそうだと思う?ちょっと心配だと思う?どう思う?』『私ちょっと心配かなと思ったんだけど』『行けんじゃん?』『本当?ちょっと一緒に見てみる?』『ちょっとここ手伝った方がいいから、ちょっと手伝ってみるね』
そういう相談もありなんすね。
結構ね、めっちゃする、めっちゃする。私本当に、あの別に同い年同士とかめっちゃする。その5年生の子がなんかやろうとしてます。5年生の子に『ちょっとさ、どう思う?あれ危なそうに見えんの、私には。なんかこうした方がいいよ、みたいな言った方がいいと思う?』
『いや、大丈夫ですよ、あいつ結構たくましいから1回怒ったりした方がいいと思います』
『本当に?じゃあほっといてみようかな』みたいな。
大体平気だった。子ども方がよく分かってる。『言った通りだったわ、ありがとう』って言うと、どうかなって見る視点が子どもと一緒に私も育つから。
一緒にやってると、私が全部管理しなきゃいけないものじゃなくなっていく。みんながそれぞれの立場でこう考えて、その人にとっていいことっていうのをし出したらね、めっちゃ楽ですよ。
楽、はい。