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🥗【大炎上】食べ物をおもちゃにする子ども達!どう教育するか?
子どもが食事中に食べ物で遊び始めたり、席を立ってしまったりすると、親としてはつい感情的になってしまいがちです。しかし、その行動の裏には「悪気」がある場合と「好奇心」がある場合があります。
この記事では、元教師であるのんちゃん先生が、子どもが食べ物で遊ぶ心理を解説し、状況に応じた適切な対応方法や、食育における考え方、そして「みんなのもの」を大切にするための具体的な声かけについて詳しく解説します。
1. 食べ物で遊ぶことの是非と社会的な学び
みかん先生、子どもが食べ物で遊びます。怒ってもやめないんですけど、どうしたらいいですか?っていう質問が来ています。
2. 子どもが食べ物で遊ぶ二つの理由
食べ物で遊ぶっていうのは何を指すかですね。ご飯を食べている途中に食べ物を手で触ってぐちゃぐちゃにしてしまったりとか、あとは食べている最中にどっか行っちゃったりとか。食べている最中にどっか行っちゃうのはマナーの問題ですね。
こちらが大人から見て「遊んでいる」という風に見えた時にどうするか。子どもとしては、悪気がなくやっている時もあれば、悪気があってやっている時もあるんですよ。
悪気があってやっている?
悪気がある場合:気を引きたい、注目を浴びたい
そうそうそうそう。やらない方がいいというか、これだと食べれなくなっちゃうとか、汚くなっちゃうとか、人が嫌な思いをするっていうのが分かっててやっている時っていうのもあって、それは親の気を引きたいからというのもあります。先生とか親の気を引きたくてとか、クラスメイトの気を引きたくてとか。一旦すごいウケるのでね、そういうやつって。それでやっていたりする時がある。
私がよく立ち会うことがあったのは、クラスがあまり落ち着かない状態になってきたり、子どもの精神的な状態があまりよろしくない状態になってくると、食べ物で遊ぶっていうのは多発します。いわゆる「崩壊クラス」って言われるクラスは、給食がボロボロですよ。
え、ボロボロ??
先生のカレーに牛乳入れたり。
え、そんなことするの?
あ、します、します。パン投げたり。そうですね、例えばプロセスチーズみたいな、袋に入ってるやつとかが、一人一枚とかで配られて「これでハンバーガー作ろうね」みたいな給食だったりするんですけど、これをぐちゃぐちゃに丸めてちょちょいにして投げたり。
これは体験したいんじゃないんですよ、遊んでいるんです。気を引くためだったり、注目を浴びるためだったり、鬱憤晴らしだったりで遊んでいる時っていうのは、厳しく、「それは違うよね」って話はしてましたね。
悪気がない場合:体験したい、好奇心を満たしたい
まず、なんかその食べ物の感じを手で触ってみたくて、ちっちゃい子がぐちゃぐちゃとかってやるのは、別に遊んでいるわけではなくて、大昔は手で食べていたわけですから。「箸を掴んだ方がいい」というのはこちらのマナーの問題。それは「手じゃなくて箸だね」っていうのを、ちっちゃいうちからやっていくのはそうだと思います。それは遊んでいるっていうよりも、体験したくてやっている。
3. なぜ食べ物で遊んではいけないのかを伝える
なんで食べ物で遊ばない方がいいのかっていうのは伝えた方がいいんですよ。これいろんな理由があると思っていて。
遊んだっていいと思うんですよ。楽しく食べれてる、美味しく楽しくみんなで食べれてる範囲で言えばいいわけですよ。でも私が話すようにしていたのは、「じゃあ、なんでこれをやっちゃいけないんだろう?」っていうのは、やっぱり注意する側は模索する必要があります。
じゃあなんでいけないんだろうって考えたときに、まず、これを一生懸命育てた人と、作ることに携わった人っていうのがいっぱいいる。もしあなたが遊ばなかったら、誰かが美味しく食べれたものかもしれなかった。
この食べ物を粗末にする、無駄にする、そのものに対しての感謝を欠いているっていう取り扱い方は、何に対しても見ていて気持ちのいいものでもないし、すごく見ていて私は悲しい気持ちのするものだ、っていうのは伝えてましたね。
友達のものとか、先生のものに対して、先生が食べようとしているものに対してそういう風にするっていうのは、とても悲しいことであるというのは伝えてました。「なんかそんなことで気を引いてどうするの?もったいない、悲しい」っていうのを伝えるようにしていた。
好奇心と無駄遣いの線引き
ただ、ただなんか体験がしたくてとか、よくわからなくて遊んでいるように見えちゃってるものもあるから、その場合は「それって遊んでいるように見えるよ」という事実を伝えるようにしていましたね。
フリースクールとかでよくやるのは、本当に美味しいと思ってやっている時もあるんですよ。
へえ、美味しいって味が?
そう、フリースクールにカルピスがあって、それを入れてコーラを入れてたんですよね。カルピスコーラか。で、牛乳をさらに入れようとしてて。すごく美味しくなさそうに私感じるけれども、わかんないからね。
で、あなたのコーラはあなたのものだから勝手にしたらいい。カルピスと牛乳は今日のその、カルピスゼリーを作ろうっていう話でカルピスはあって、牛乳はその日のなんか作るのに使おうとしてたんです。
使おうとしてたもの、こうやって入れようとしていたのに関して言えば、「ちょっと待って」って。で、私、カルピスコーラミルクっていうものを飲んだことがないから、正直美味しいか否かはわかんない。それを実験したいと思う気持ちは汲もうと。そういう好奇心、素敵だと思うし必要なことだと思う。
でも、コーラはあなたのものだよね。でもミルクとカルピスはみんなのものなんだよね、みんなのお金で買ったやつね。で言うと、多分ここにいる人には一言断った方がいいと思う。「無駄になるかもしれんが、やってみたい。どう?」っていうのは一言言ってみたらどうだろうか。
それで無駄になった場合だよ。わかんないけど、こう飲んで「うっ」てなった場合、無駄になるわけじゃん、その量って。で、みんなのものだから一言断ったら、私そういう好奇心は応援したいからいいんじゃない?
で提案して、その彼は「いい?どういう味になるかわかんないんだけど、入れてもいい?」っていうのを聞いて。で、しっかりした女の子とかが「それでも次のその料理の分は残るんだよね?」ってのを確認した上で、「残る、残すようにする。じゃあいいよ、やったら?」って言われてやって。私飲んでないけど、割といけたらしい。
だから、なんでいけないのって、別によくわからんもんを混ぜてみればいいと思うんですよ。そうして発明が生まれてるわけでしょ、きっと。チョコマシュマロみたいなものも、わかんないけど最初は気持ち悪いと言われてたのかもしれないよ、わかんないじゃない。だから、なんか面白そう、混ぜてみたいとかは、全然私は「遊んでいる」に入れてないです。
ただ、それがどう、そのみんなのものを勝手に無駄にするってのはまた別の話。誰かのもので勝手に遊ぶってのはまた別な話で。好奇心はいい。でもこれ絶対にまずくなるとか、絶対に無駄になるっていうのが分かっていて、注目を引くために食べ物を使った時には「悲しい」って言うようにしてた。
だって本当は美味しく胃に入ったものでしょ、これって。これじゃなきゃいけなかったってかなんか悲しいよ、この方法はっていうのは言ってたかな。やっぱりね、そのその子のモヤモヤがあってやってる話ではあるんだとは思うけど、そのまあいっかにはしない方がいいんじゃないかな。やっぱりね、その体になっていくものだから、食べ物って。
どんな風に遊んじゃってもいいやでTiktok流しちゃったりして炎上してじゃないですか。それもしつけ出し学びなので、伝えて行ったほうがいいかなと思いますね。
あと善悪っていうのか、人の感覚、食べ物を粗末にしている人をみて気持ちのいいことじゃないよね。それはたくさんの想いが詰まっているものだし本来は循環させていくものだからって伝えていけばいいんじゃないですかね。
4. 家庭での具体的な躾と対処法
席を立つ・遊び始める場合
お家での躾の仕方としたら、そのように話して「次遊んだら取り上げさせていただきます。とても悲しいので」っていうのは、淡々と取り上げたらいいと思います。
よくあるのが、さっき出てきたお食事中に席を立っちゃう。私そのフリースクールでめっちゃあるんですよ。なんか食べてるんだけど遊びたくなっちゃって、そのまま遊びに行っちゃって帰ってこないみたいな。
それはもう一択で、「何分にごちそうさまをしたいと思っているので、そのごちそうさまの瞬間に残ってるものについては全て処分。もったいなくて悲しいけれども処分」っていう方向でいいかなっていう合意は取ること。そもそものところでね。その中で食べられるように食べたらいい。片付ける時間もこっちもね、あるから、まあ迷惑だっていう話で。そこできっちりそこで食べ終わってなかったら捨てる。捨てるっていうか、お母さんお父さんのものにしてもいいと思うけど。
汚した時の対処法:自分で責任を取らせる
あとは嫌なのは、そのベタベタした手で、おもちゃを触る、カーテンを触るっていうことの迷惑ですよね。で、それをした時には本当に、「私はちょっと待って」っていうのは、それすぐ行って見てって。「ベタベタしてるってのはわかる?」って。「あ、ごめん、知らなかった」ってことは、知らなかったことやっちゃうのはしょうがない。その上で対処すればいい話だからって言って、「これは何で拭いたらいいか分かりますか?」って言って、拭くものを用意した上で、全部綺麗に拭くまでこうやって見守る。「うわ、全部拭いてください」って。「自分で汚したものですよ」。
「ちなみにカーテンだったら今から丸洗いしていただきたいところなんですけど、そうすると帰れなくなるんで」って言ってパンパンパンパ叩く。まだ足りない、全然足りない。布はね、染み込むんだよね。「見て、シミがついてる。わかる?」っていうのを、いろんな洗剤とかつけて工夫しながらパパパパ。それで落ちるまで一緒にやる。
で、ベタベタしてて手で触ると、「これにあなたは20分間を費やしたわけだけど、これ毎回やるよ」って。その人のものとか、この脂っこいっていう状態をいろんなところに持っていくのは迷惑な話で。
席を立つ時には、「席を立つっていうのは、その片付ける時間までに戻ってきてくれれば私はいいけれども、その時にはマナーがあると思う。どうしたらいいと思う?」ってなったら、「手を洗ってから遊びに行って、そしてまた手を洗って食べる。それができる人だったらやればいいんじゃないの?」っていうような関わりしてるとね、多分ね、億劫になるんですよ、遊びに行くのが。
そのうち「なんかいいよ、もうちょっと早く食べ終わってみんなで片付けてから遊んだ方がいいじゃん」とか言われるんですよね。なんだ分かってくれて嬉しいよ、みたいな感じになるから。そこは本当にね、汚したものは自分で綺麗にしましょう。もしくは罰金を払いましょうって話ですよ。大人だってそうじゃないですか。その辺も淡々と対処っていうのは、マナーとして躾としても大事なんじゃないかなと思います。
5. 嫌いな食べ物への対応と食育の考え方
とはいえ、子どもが食べ物を粗末にする時って、やっぱりなんか嫌いな食べ物を手持ち無沙汰でいじってるみたいなケースとかもあったりとか、嫌いだからなんかこう放り投げるとか、そういうことをしちゃうと、やっぱり親としてはついこう口だけじゃなく手も出しちゃうみたいなケースとかもあると思うんですけど、そういうケースはどうしましょうね?
食育っていうことに関して言えば、いろんな考え方があると思うんですけど、「どうしても嫌いで、どんなことをしても食べなきゃいけない食べ物」っていうのが、この世にあるのだろうかっていうのは私は思うところで。
だから、嫌いな食べ物、「嫌いだからこうやっていじくり回してポイ」みたいな話ですよね。だとすると、あの嫌いなものは「これは嫌いなので」っていう交渉をちゃんと言葉としてできる人の方がいいと思うんですよ。
なので、その嫌いなものを何としてでも食えっていう食育は、それにも意味があると思うから、お考えがそれぞれあると思うんで絶対ではないんですけど、私はね、そんなことに使ってる時間は自分のために使いたいんで。
私がやってるのは、「一口、もう1mmでもいいよ。一口は食べようよ。で、それは、やだなって思うこともちょっと挑戦してみるという心が大切だと思うんだ。ご協力お願いしたいです。オッケー?」っていうのは、クラスの子にもよく言っていて。
だから本当にその「いただきます」をした後、減らしたい子は減らしに行くんですけど、嫌いなものは本当に1mmでもいい。「食べようとしたんだぜ」みたいなのが分かればいいって言ってたから。本当に本当に1mmでもいい。遊んじゃうぐらいだったら、そのものは私が美味しく食べるくらいの、美味しく食べられる人が世の中にはいるんですよ。だから遊んじゃうくらいだったらね、そうした方がいいんじゃないかなって話し合いかなって。
嫌いなものを無理に食べさせなくてもいい
結局嫌だから。で、私も例えばですよ、私はウニが大嫌いです。もう今、その素知らぬ顔して食べることはできるようになったけど、本当に嫌い。でも幸いなことに、ウニって無理やり食べさせられないの。高級だから給食で出てこないしね。
私はそういう目にはあったことないんだけど、わかるの。嫌なの。「うわー」ってなる、「えっ」てなるやつって思いながら、どうしようどうしようってなる感覚わかるからさ。それはいいんじゃない、無理に食べさせなくても。このくらいだったら私に全然食べれるくらいの分にして。
で、その話し合いですよね。それを絶対食べて欲しいっていう思いがあるんだとしたら話し合い。「これにはね、ビタミンB1があってね。ビタミンB1が食べられる食材は他にこれとこれとこれなんだけど、これとても高いからうちはこれを食べて欲しい」みたいな、もしかしたらあるかもしれないじゃないですか。なんかそういうのがあったらもう話し合えばいいと思うんだけど。
なんかホモサピエンスが生まれて、原子を生きるっていうことを思ったらね、昔はだって木の実ばっか食べてたでしょ?その辺の。「これを食べなきゃいけない」とかそんなにあるのかなとは思う。だからそれを持って何を伝えたいですか、何を育てたいですかっていうところで、こうお互い気持ちよく生活していくための情報っていうかみたいなのは、嫌いな食べ物をいじくり回して投げちゃうくらいだったら、まあ話し合いますよね。「なんで投げたの?」「嫌いだから。」「何mmだったらいけそう?」みたいな。「ちょっと挑戦はして欲しいんだけれども、あの投げてもらうようなことは別にしたくないんだよね」っていう話し合いなんじゃないかなとは思いますね。
6. 「全部食べろ」という教育の是非
あとやっぱり家庭によっては「出されたものが残さず食べろ」っていう考えの家もあると思うんですけど。
あると思う。私が思うのは、いや、私の考えなんですけど、食べられる量って人それぞれ。ギャル曽根みたいにめっちゃ入るけど細い人もいれば、食べたらめっちゃ太る人もいれば、全然食べてないのに太る人もいれば、色々じゃないですか、人間の体って。で、その人の体のことはね、その人しか正直わからんっていうのがすごいあって。
なんでこの人どこにそんな量入るんだろうみたいな人、未だ横にいたりすると、私はお腹いっぱいになったらその人の横皿にいっぱいついじゃうんですけど。だって入るんだもん、そのくらい。その食べられる量って違うんですよね、見た目とかとまた別として。
だから私、盛ったものは全部食べる派です。あんまり無駄にしたくないからです。でも、自分が食べられる量を知っておこうっていうのは大事な一つの教育だと思っていて。だから、少食な人は最初から減らせばいい。「ご飯少なめで」って言ったらいいんですよ、店員さんに。
こっちが決めた量「絶対毎日食え」って地獄ですよ。私それで、すっごい食べる人と一緒に暮らすことになって、「これが食べる量だろ、人間の。絶対毎日食えよ」とか。もう本当に本当に毎回トイレ行って入って吐いてやると思う。もうそれしか生きていく道がないもんね。
そのくらい、その自分が食べられる量っていうのはその人しかわからないものだから、「全部食べろ」っていう教育よりは、「自分が食べられる量をしろ。その分盛れて、その分美味しく食べられる人になろう」の方が健全だと私は思っているので。
子どもとして言われちゃったらどうするかな。いや、もう全然子どもが子どものようにピュアじゃないので、私はちょっと、なんかこうさっとおにぎりとかにして翌日のバッグの中に入れるとか、なんか色々工夫して食べない工夫するんじゃないかな。暗いなもんだと思うから。「出されたもんは全部食べろ」は結構拷問なんじゃないかなって私個人の意見としては思います。
7. まとめ:行動の意図を見極める
「わかんなくって好奇心でやったの?それとも遊んでいるの?その良くないことが分かって、無駄になることが分かってやったの?」ってとこで大きな分かれ道。その上でどうしていくのがいいのか、なぜそれをやったら良くないのかっていうのを伝えながら、やっぱり食べ物を分かっていて無駄にするっていう行為は、あまり気持ちいいものではないっていうことを伝えるし、食べ物っていうのが、どのように出来上がっていて、食べられるっていうのがありがたいことだ、みたいなことを伝えていくことは、なんか一つのしつけとしては必要なんじゃないかなって思うので、ぜひ伝えてみてください。
ありがとうございます。
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