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【感動の再会】あの時の卒業生と思い出の小学校の校庭で…!
小学校の先生をしていたのんちゃん先生が、6年前に卒業した教え子たちと再会を果たしました。大人になった彼らとの再会で感じたこと、そして当時の「スパルタ」教育が彼らに与えた影響とは?感動と笑いの再会のエピソードをお届けします。
6年越しの再会:校庭で語り合った1時間半
のんちゃん先生、ちょっと前に6年前の6年生に会ったっていう話を聞いたんですけれど、大人になった彼らと会ってどうだったか教えてください。
そうですね、すっごい嬉しかったです。あの、すっかりね、お姉さんお兄さんになってていうか、大人になっていて。もうすぐ大学とか、高卒で就職しますっていう子は就職するっていうタイミングで、久しぶりに会うことができて。すごいね、楽しかったです。
多分1時間半ぐらいずっと校庭で話してたんじゃないかな。その卒業した小学校の校庭でね。
すごい、なんか客観的に見たらすごい楽しそうだなって。
楽しかったですよ。
6年前の6年生。なかなかね、小学校の先生に集まるなんてそんなにあるのかなとは思うんですけどね。彼らが卒業するタイミングでなんか色々企画をしていて、その中の1つに「将来の自分に手紙を書こう」みたいなのがあって。で、2024年の3月で日程を設定して「3時校庭」っていうのを、あの私もGoogleカレンダーに入れてて。で、私も忘れてて。
なんかこう予定を3月の確認したら、「何これ?なんじゃこりゃ」って。6年前に設定してるから。なんて言ったって、「へえ、こんなのに来る人いるかな」と思ってたんですよね。だって6年生の時の予定を、高3になってまで覚えてるかっていうと覚えてないよなと思って。
まあ、最悪行ってみて誰も来なかったら寂しく帰ろうかなぐらいの感じだったんだけどうん。インスタのね、ダイレクトメッセージでメッセージくれて。「お久しぶりです。覚えていますか?」っていうのでメッセージくれて。
集まったメンバーはね、なんかね、覚えてましたよ。なんか久しぶりにその、あの同じクラスのね、元6の4のメンバーで集まるたびに「3月何日だよね、何時だよね」って言ってたっていうから。「あ、そうなんだね」って。
当時携帯もないから、そういうGoogleカレンダーにメモとかもできないし。よく覚えてたねって言いながら色々話しましたね。
6年経っても顔を見れば蘇る記憶
さあ、会ってみてどうでした?
自分の中ですごくあの不安だったのは、言うて12年間先生してるから12クラス持ってるわけじゃないですか。先生辞めてからもいろんな子どもたちと関わってるから、あの数としてはすごい人数ですよね。
あの連絡もらった時にもちろんその子のことは覚えてるし、出てくる名前も全部覚えてるんだけど、「いや、どれの何のクラスだ」と思って卒業アルバムを引っ張り出して。開いた時に、ああ、この時の子どもたちかって思って。
実際その校庭のところに行ってみてもうね、なんか顔見たら思い出やら何やら、名前が出てこないなんてことはやっぱり1年間あれだけ密に過ごしたらないんだなって思うぐらいに。「ああ、〇〇くんだね」っていうのが出てきたし。会った瞬間にそう、当時よくその子に言われてた言葉とかも出てくるし。面白かったですね。
顔見た瞬間分かったんですか?まあ6年経ってるから、子どもが大人になってるじゃないですか。
なってた、なってた。背もね、高くなってて。でも、いや出てきましたよ、思い出と共に蘇る感じがなんかすごく楽しかったですね。
どんな話したんですか?
うーん、なんか「どんなこと覚えてる?」みたいな話だったり、「この子こうなったらしいよ」とか、「この子最近駅で見かけたよ」とかっていう話だったり。これから何をしようと彼らがしているのかとか、「あの大学ここに決まりましたよ」とかいう近況報告とか。ま、当時の思い出話とか話しましたね。
もうちょっと具体的に。
そうですね。覚えてることが人それぞれ違うから。「なんでそんなこと覚えてるの?」って私も忘れ着るようなことを言ってくれる子もいれば、「え、それも覚えてないの?」とか色々ありましたね。
例えば、さっきの話だと「先生まだここにいっぱいメモ書いてんですか?」って言われて。「ああ、そうだね、書いてるね」って言って。「よくここにこちこち書いてあったよね」みたいな。「変わってないですね」とか。「よく忘れ物して職員室に先生取りに行ってましたよね」とか。覚えててくれて。嬉しかったですね。
卒業式直前の最大サプライズ
あとは、その時のあの子たちのクラスって、私が先生をしている中での一番の最大のサプライズを企画した子たちだったんですよ。
卒業式間近の時に、あの授業が始まるのでクラスに行ったら誰もいなくて。で、なんか黒板に大きく「6の4は全員人質に取られた。暗号を解かなければクビだ」みたいなことを書いてあって。「なんだ」と思って。
暗号つってもヒントもないし、「え、どうしよう、どうしよう」と思って色々探したら、なんか紙ペラみたいなのがちょこちょこちょこちょこ出てきて。で、全然わかんなくて。私本当に本当に解けなくて。「解けないよ、クビだよ」って言ってたら、お助け人のかかりの子がひょこって下のなんか教室の下の扉からこうして。「早くしてください。ヒント出しますから。はい、あの、あそこ開けてください」とかって言って開けて。「あった、あった、あった。それ繋げてください」みたいな。ので繋げたら「音楽室へ行け」だったんですよ。
はよ来いと思ったんだろうね。
そうそう、その子どもたちとしてはね、その時間でって企画したのに全然やってこないから。
で、音楽室に行けもね、もう1なんかステップあって。バッと突然テレビが映ったら動画が流れて。で、なんかそれを解いたら「音楽室に行け」とかくらいに凝ってて。
すごいね。で、音楽室に行ったら全員楽器持って立ってて。クラスのその時のクラスの歌があるんですけど、それを実はこっそり1ヶ月間ぐらい練習してたらしくて。そのクラスの歌を楽譜起こして、で、それぞれなんか楽器担当として木琴とか鉄琴とか、本当になんか音楽室中の楽器使いながら見事な演奏をしてくれて。「ありがとうございました」って巻き物みたいのくれたんですよ。「最高の先生だったで賞」みたいなのをくれて。
っていうサプライズを企画した子どもたちで。で、なんかその時の思い出話はすごい言ってましたよ。
なんかその当時私立受験を控えてる2人、控えてた2人とかも来てくれてて。「いや、まるまる君さ、受験前なのに一生懸命鍵盤ハーモニカ練習してくれてさ。これで落ちたらどうしようとか思ってたんだけど、良かったよね、受かって」みたいな話だったり。
そうそうそう。その時の音楽の先生に頼み込んで、「音楽室、あの休み時間使わせてください。6の4が使いたいんです」って言って。休み時間ごとにクラスみんなでやってきて。バレるから休み時間ごとにいつも人がいなかったら先生にバレるっていうので、半分ずつスケジュールの計画を立ててこっそり練習をしやってくれたサプライズがね、すごかったの覚えてて。「すごい覚えてるよ」って話をしたら、「覚えてる」みたいな話になったり。
で、あの時、結構こうクラスの中ではムードメーカーだった一人がお休みしてて。「いわゆるさ、一人だけさ、写真にさ、こうやってやってやったのな」みたいな話とかで盛り上がりましたね。「懐かしいね」って言いながら。
厳しかった「スパルタ」教育の真意
で、そう、あの言ってた話でちょっと私は笑っちゃったのは、「あの、すごい怖かったですよね、先生」って言ってた。
このYouTubeもね、あの見てくれてる子がいたっていうところだ。
そう、見てくれてる子がいて。すごい嬉しかった。「なんか先生話し方変わってないと思って見てました」とかって言ってくれて。
その怖いっていうのとYouTubeとのイメージ合ってるのかな。
怖いっていうのは、厳しい時にむちゃくちゃ厳しかったっていう話。で、なんか「スパルタ方式だったよね」って。「あんなに自分たちで考えて行動しなきゃいけなくなった年ってなかなか無かった」って。
だから結構自分で考えて、自分で判断して動いて。その先生に許可を求めるものとか、「先生、トイレに行っていいですか?」っていう文言に対して、「え、それって行っちゃダメつったら行かない話?おかしくない?」って。トイレに行ってもいいですかって先生が許可しなきゃいけない界って変だと私は思ってたから。
だから学年全体で、あの「トイレに行ってきます」と「はい、行ってらっしゃい」っていうやり取りをしてたんですよ。
で、あの話してくれて面白かったの。それって大人になった後とか、この先ずっと通用する常識として自分の中ではすごい衝撃的だったらしくて。その子はその「これこれしていいですか?これはノートを書いていいですか?」とか聞くと、「それ私に聞いて何?許可がないと動けない話?」みたいなのをよく聞いてたんです。「先生、遊びに行ってもいいですか?」って。「今休み時間ですけど、なんで私が許可しなきゃいけないんですか?」とかって言ってて。
で、自分で決めて、自分で考えて、自分はこうするっていうのを言ってくっていうのが結構学年全体としてやってたんですよね、その時の6年生って。
でも「中学校に行ったらちゃんと許可を取れって怒られましたよ。高校もそうだった」とかって。
もう結局ね、大人になったらそうではなくなる。
「え、なんか上司にトイレ行ってきていいですかとか言わないじゃないですか」
言わないね。
だから、やっぱあの1年はすごく厳しかったし、すごく特別だったっていう話はしてましたね。
先生が教え子に期待すること
みか先生としては、そういう子どもたちにあの影響を与えたいと思って1年間先生してたわけですか?
いやいや、なんか私今回、いいの。その6年ぶりにね、会えたっていう話をすると、すごく「ああ、あの時の先生のおかげで」とか言われちゃうのとか楽しみだね、みたいな。すごいいろんな方から、私よりも聞いた方の方がなんか「わあ」みたいに感動してくださってるのを見てて、自分の中で感じたのは、なんか1個のエピソードでも覚えてれば十分だなっていう感覚はありますね。
大人の皆さん聞きますけど、じゃあ小学校の先生の一言で今にも影響を及ぼしてるありがたいお言葉とかって思い浮かびますか?っていう。
「口笛吹くな」って怒られたかもしれない。
これそんなもんですよね。そんなになんだろう。もし何かの言葉がひょっこりでも残ってるとしては、それは素晴らしいことだけれども、そんなものを期待しては先生はやってないので、私は。
その時に彼らとの時間っていうのを一生懸命生きていた私というのはいて。で、なんか久しぶりに会えて、「いや、出会えてよかったね」って話をしたりするのはすごく嬉しいことだけど
私が話したことの中で何を覚えて今に活かしてますかみたいなのは重い、重い、重い、重い。1年しか一緒にいなかったのに重いって思う、本当。
だからなんかこう覚えてるエピソードとして出てくることがあるっていうことで十分嬉しいなって。何も覚えてなくても全然いい。
なんかその自分の中では「この子ってこれが好きだったよな」とか、「こういう時にさ、ビシッとこう突っ込み入れてくるのは〇〇君だったよね」みたいなのを覚えて、変わってないみたいなところとかもすごい楽しかったし。なんかね、ただただ仲間として一緒にいたっていう。だから何かを残してやろうとか、何か将来に影響を及ぼそうみたいなところは考えたらやってらんないですよね、教育って思う。特にそういう期待はないなって改めて思いましたね。
なんか子育てにも通じるとこあるんじゃないかなと思って。
そんな影響なんか与えられないですよ、そんな簡単に。そんなことを思ってそばにいられたら嫌じゃないですか。影響を与えたいみたいなのはないです。
立派にね、元気に大きくなっているっていうことがすごく嬉しかったし、私の中であの「もう頼り放題だなって思えたところがすごい嬉しかった」。
どういうこと?
え、なんか将来いい教育の道に進みたいって言ってる子もいて。で、そこで話したのが、「え、一緒に仕事しようよ」って。「うわ、楽しそう。したい、したい」って言ってて。「先生相変わらずあれでしょ、スパルタなんですよね」って言われた時に、「そうだね」って言って。「なんかやる気ないことしたら追い出され」。「てか、それ追い出すよ」って言って。「変わってない」って言ってた。
だからなんか彼らの中ではスパルタとして残っていて。で、なんか一緒に仕事したいと言ってくれる感じがすごい嬉しかったです。
いや、なんか実際できたらすごい楽しそうですね。
うん、楽しそう。だからなんかHOPEの宮古島ツアーとか、「手伝いにおいでよ」って。「行きたい、行きたい、行きたい」って。大学生だからね、できるじゃないですか、そういう手伝い。もうね、バンバン来てほしい。「教え子の皆さん、一緒にスパルタやりませんか」っていうね。すっごい楽しそうだねって。一緒に仕事したいねって思ったし。
割とね、いい大学に受かってる子もいて。なんか「さ、困ったらさ、呼んでいいんでしょ」って。「将来すごく偉くなりそうだからさ、困ったらさ、お願いするよ」つったら、「待って、できることは何でもやりますけど」。「恐ろしいな」って。
なんかそういう風に大きくなった彼らと、一緒になんか仕事をするっていうのができたらいやこんな楽しいことはないなって思いましたね。
6年越しの暴露話
ま、あと一緒にお酒飲んだりね。
そう、一緒にお酒飲んだりね、したい、したい。
飲んだ後ののんちゃん先生がどんなものなのか、是非見てほしい。
まあ、ひどい。私のこののんべぇっぷりはね、バレてなかったらしくて。YouTubeをね、見てくれた子が「先生お酒好きみたいですね。うちらがうちらの先生だった頃からお酒好きだったんですか?」って聞かれて。「バレてなかった」と思って。「そうだよ」って言って。「なんか朝とか、あの健康観察3人飛ばしとかでやって、『え、どうした、どうした』みたいになったりしたじゃん」って。「え、あれ二日酔いってこと?」って言ってて。「そうそうそう」って言ったら、「やば」「全然知らんかったわ」って言ってた。
ま、是非見てほしいっすね、はい、そういうとこも含めて。
まとめとなのかな。すごい楽しかった。私のあの言葉覚えてるとかっていうのは特にないっすね、本当にね。一緒にいて楽しかったよねって。いろんなことがあったけど、楽しかったよねって。
で、運動会でね、これを踊ったとか。先生が「もう知らない」って言って帰ったとか。なんか本当しょっちゅう帰る。「もうやる気ないんだったら付き合ってられん」って言って。で、なんかみんなで話し合って、「なんかね、お願いします」みたいなやったよね、みたいなこととかね。
なんかあの時のことを一緒に振り返って楽しかったねと言える。そして今からの人生をもう卒業したから別々とかじゃなくって、いつか一緒に仕事したり、いつかどこかでまた出会って、なんか一緒に何かができるっていうのがあったらいやめちゃくちゃ楽しいなって思えた時間で。
あのわざわざね、時間作ってくれて校庭に来てくれたメンバー、本当にありがとうと。これからもよろしくって思いました。
いや、いい先生っすね。
そうなんですね。ありがとうございます。ありがとうございます。
なんかやっぱり6年、もうだってそれだけ覚えてくれてるっていうのと、みんな会いに来て、そうやってあの楽しく思い出話ができるっていうのは、やっぱり先生としてすごい愛されてたんじゃないかなと思うんですけど。
知らん。知らない。知らないけど、なんかそうだとしらすごい嬉しいけど、別にそうじゃなくてもいい。いいなって思う。彼らが元気ならばとも思いますね。
いいクラスでしたよ、本当に楽しかった。それが彼らのなんか生きていく時の「あんなに頑張った1年ってなかなかないよね」って彼らが言ってて。「本当に忙しかったよね」って。あの自分たちで色々目標を立てるから目標に追われていてね、彼らは。だから「ただ自分はこんなに頑張れた」っていうのは、その後何かその挑戦したり、生徒会に挑戦したりとかっていう中での1つの励みになっていたかもしれないみたいなことはちらっと言ってた。そんなもんじゃないかな。
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