【本田選手の一言がすごい】都合のいいことしか言わない子どもにどう返す?

子どもに、無責任な「できるよ」をかけていませんか?

サッカー日本代表として活躍した本田圭佑選手が、小学生の質問に放った一言

「プロになりたいけど、親が塾に行かせようとする。どうすれば?」という子どもに対し、本田選手が「君の行動がプロになれるように見えないんだと思うよ」という厳しい言葉。一見すると、子どもの勇気をくじくように聞こえます。

しかし、この本田選手の関わり方こそ、アドラー心理学で最も重要視される「横の関係」「課題の分離」に基づいた、真の勇気づけ。

「親のせい」「環境のせい」にして生きるのではなく、自分の人生を主体的に生きる力を育むために、私たち大人は子どもにどう向き合うべきか?具体的なエピソードを交えながら、子どもが自分で立ち、成長できる「アドラー的な関わり方」を徹底解説します。

プロを目指す子どもへの関わり方

のんちゃん先生、本田選手と子どもとのやり取りがのんちゃん先生みたいだなと思ったんですけど、のんちゃん先生としてはいかがですか。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

じゃあ、そのやり取りを見せてもらったので読みますね。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

数年前、本田圭佑選手に小中学生数名がZOOMで質問できる機会があって、息子も参加させてもらったんだけど。ある小学校高学年くらいの子が「僕はプロになりたいからもっとサッカーの練習がしたいんだけど、親が塾に行かせようとしてます。どうすればいいと思いますか」と質問したら、本田選手から「君の親は君がプロになれると思っていないから『勉強しとけ』って言ってるんだよ。『こいつならプロになるだろう』と思えば『サッカーもっとやれ』って言うよ。君の行動がプロになれるように見えないんだと思うよ。君はちょっとでも時間ができたらすぐボールを蹴ったり、体幹やったり、プロになるためのことをやってる?」的なことを言って、小学生が何も言えなくなってしまったことがあったんだけど、

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「本当にその通りだと思う」というやり取りですね。

これがすごくのんちゃん先生っぽいなって思ったんですよね。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

わかる。私もそう言いたいと思いましたね。これ聞いてすごく思うのが、これすごいアドラー的だなと思います。アドラー的なんですよ。アドラーって横の関係なんですよ。本当に対等な関係として話をするんですよね。誰とでも、誰とでもそう。だから、子どもに対しても上からとかはしない。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

よく見るのが、プロのサッカー選手になりたいんだって言って週1回だけサッカーやって、自主練とかは特にやってなくって、でもまあサッカーは好き。学校の休み時間とかはサッカーするけれども。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

都合が悪くなると「サッカーの方がやりたい」とかっていう風に出してくる、プロを目指してると言わんばかりの子に対して、「いいね、いいね、きっとプロサッカー選手になれるよ」っていう、これをアドラーの勇気づけだと思っている。その「あなたはこのままじゃサッカー選手になれないよ」みたいなのが勇気くじけで、「なれるなれる、大丈夫大丈夫」っていうのが勇気づけみたいに思われている風潮があると思うんですけど、この本田選手の関わり方の方がアドラー的だなって私すごい思います。

無責任な「できるよ」は勇気づけではない

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だって今、私本気でオリンピックの女子サッカー選手になるって私が突然言い始めたとしてですよ。「なれるなれる」って言ったらかなり無責任じゃないですか。言います?だってサッカーしてないっすけどね、全然。

今酒飲んでるみか先生に。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

そう、毎日お酒を飲み、肝臓オリンピックがあったら出るかもしれないけど。でも言わないじゃない、この大人に。「いや、ちょっと無理じゃない?」って。「プロの女子サッカーのチームに入るの相当っていうか、この年から始めたら結構厳しいと思うよ」っていうのが、とても私のことを考えているお友達とか家族とかが言ってくれることで。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「できる、できる」って言ったとしたら、多分どうでもいいなと思ってんのかなっていう関係性じゃないですか。それを結構子どもにやるよねって思う。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だからこそ、プロのサッカー選手になるっていうのには一体どのような練習が必要で、どのくらい遊びの時間、リラックスタイムだったり自由時間みたいなものをどれだけ削ってプロのサッカー選手になる人たちが頑張ってきたのかっていうのは、ちょっと調べりゃ分かる話。「本当にプロになりたいのならばこれが必要だよ」と。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

それを見ていて、とてもプロにはなれそうもないなと思ったら、これ介入をされちゃうわけですよ。これ「課題の介入」ってアドラーは言うんですけど、自分の人生を自分で生きてるっていう、みんな課題、自分の課題としてこう進んでいく時に、あまりに心配な人っていうのは周りから手を出されちゃう。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だって、自由時間とかその時間が空いた時にサッカーのことをしてるでもない、ぼーっとしてる。「このまま進むと心配じゃない?」っていう子には、親だって「塾に行け」くらい言いたくなりますよね、っていう話。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

なので、これだけの練習が必要だし、空いてる時間はボールに触った方がいいし、体幹やった方がいいし、どれだけのトレーニングをしてるんだろうと。それを見せてくれるのであれば、塾とかじゃなくって、ぜひ応援したいと思うんだけれども。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

その覚悟があって言ってるって覚悟があるんだったら、本当に応援するし、本田選手や今のプロサッカー選手の人たちが子どもの頃、あなたと同じくらいの時にどんな練習してたのか、どんな毎日を送ってたのか「一緒に調べようよ」が横の関係だなと。だから、本田選手の言うのはその通り、その通りだなと思いました。

「親のせい」にするのは格好悪い

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だから、よく子どもたち言うのが、「僕は宮古島なんか来たくなかったのにお母さんが勝手に行けって言った」とか(私の例で言えばね)、とか、学校の先生やってた時によく聞いたのが「私は塾行きたくないんだけど、お母さんが塾行けって言うから」とか、「お父さんが受験しろっていうからしょうがないからするんだよ」みたいなやつ。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

これ、もう私、アドラー的に言ったら全然「甘ったれてんじゃねえよ」って話で、子どもに対してですよ。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

そういう時にすごく言ってたのは、受験の子ととかで子がそう言ったら、「僕はなんか受験そんなになんだけど、お父さんがしろって言うからしてんだよね。塾もさ、行けっていうから行ってんだよ」って言ったら、「だったら今すぐやめれば? あなたの足で歩いて塾に行ってるわけでしょ? あなたの手で教室の扉を開き、あなたの意思で塾の机に座り、席について、それなりに3時間とか過ごして帰ってんでしょ。やめたらいいじゃん。だって動かなければ終わる話じゃない。他にやりたいことがあるんだったらそっちをやったらいい。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

しかも、親御さんはそのためにあなたが塾に行くことに意味があると思ってお金を投資して、送り迎えとかなんならしてくれて行かせていただいてるわけでしょ。文句言うんだったらさっさとやめなよ。そのお金がすっごいもったいないよ」と言いますね。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

言って、「いやいや」みたいになったら、「じゃあ自分で決めて塾に行ってるって、元々お勧めをしたのは親御さんだったけれども、自分の中でこのめんどくさい思いとか、本当は遊びたいなとかあるんだけれども、それを言って親と揉めるくらいならとか、それを断るほどのものでもないなと思うから、自分の意思で塾に行ってると言った方がよっぽど効果も上がると思うし、よっぽど自分の人生をしっかり責任を持って生きてる人の発言だと思う。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

親のせいにしている方が生きやすいし、あの人のせいにしていると自分で責任取らなくていいから楽なのかもしんないけど、いい加減もう格好悪いと思うよ」って5、6年生には普通に言ってた。

そしたらどうなるんですか?

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

黙る。その後は、私の前で「誰々がこう言ったからやんなきゃいけないんだよ」っていう子が消えます。多分そうやって言い返されるのが分かってるから、自分で選択してきていますと。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だから、学級委員長とかが集まる会とかも割と仕切る立場として先生としてそこにいたんだけれども、「俺、学級委員やりたくなかったんだけどさ、やれって先生とかクラスのみんなが言うから」って来た子、「うん、帰っていいよ」って言ってました。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「いい、あなた一人いなくても何とでもなるから。ここはやりたいと思う人が、推薦できたとしても自分でやると決めた人が、あの1年間を楽しく過ごす場所なんで。『やらされた』と少しでも思ってる人、すぐに帰ってください。一緒にやりたくありません」って。

凍ります、空気が。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

これはアドラー的です、すごく。だってその場に来たのは自分でしょ。鉛筆を握ってるのも自分でしょ。それは自分で決めているとするのが、自分の人生を生きている人。それに対して「心配だな」と思うと他から介入されちゃうぞ。じゃあ、介入されないようにするのももう自分でできるでしょって。小学生なんかみんな自分でできるんですよ。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

それを介入を許しておいて「あれ、あいつがやれって言ったから」っていう生き方は本当に成長しないからやめた方がいいと思うよ、というのがアドラー的なその人生の生き方だし、関わり方だなって思いますね。

「断れない」のではなく「断らないと決めた」

とはいえ、例えばそれ中学生の自分の話なんですけど、クラスの生徒会の選挙に立候補じゃなくて推薦でされた場合、「断れないけどやりたくない」みたいなのってやっぱあるかなとも思っていて、そういうシーンが。そういう時ってどうしたらいいのかなって。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

「断れない」んじゃないんですよ。「断れない」ことなんかないんですよ。だって「嫌だ」と言えばいい話でしょう?

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「断れない」んじゃなくて、「断らないことにしたんだ」って自分が。

なるほど。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

断って、「え、あいつせっかく推薦したのに、こういうのでこうなんかあの言ってくるの感じ悪いよな」なのか、クラスで自分の立場が悪くなるとか、先生の期待を裏切ることがとてもなんか申し訳ない気がすると思うので、その思いをするくらいなんだったら、自分は断らないと決めました。「断れない」んじゃなくて、「断らない」。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

そう。それで揉めるとか、それで立場が悪くなるくらいだったら、私はこれは受けようというのを自分で決めたっていうのが、自分の課題として人生を生きている人の発言。「断れないんだもん」って、それ責任逃れだよって。

もうなんかぐさっときますけどね。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

全てにおいてそうなんですよ。だから私、これ「課題の分離」だったり、「人生の主人公として生きてますか」みたいなところでアドラーですごく出てくる部分なんですけど、私自身もそうだったんですよ。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

よくあの飲み会の誘いとか遊びに行く時の誘いをこうやって断ってたんですよ。「いやすっごい行きたいんだけど、どうしてもやらなきゃいけない仕事があって、行きたいんだけど行けないんだよね、ごめんね」ってやつ。

悪くないんですよ、別に。何かのせいにして断るってやつですね。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

そうそうそうそう。悪くないんだけど、人生の主人公としては生きてないんですよね。

ふーん。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

「仕事があるからいけない」。あの仕事はね、何とでもできるはずなんですよ。時間っていうのは自分で作らないんであって、作れないものではないわけじゃないですか、何事も。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

それは人生の主人公じゃないし、「そんなに行きたいんだけど」って申し訳なさそうに言うなら「来れば?」って言われて、そうだなと思ったんですよね。これはすごくアドラー的。自分が主人公として人生を生きてない。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

じゃあ何て言えばいいかって言うと、「すごく行きたい気持ちはあるんだけれども、今こっちの仕事をやっといた方が良くて、なのでこっちの仕事をやりたいので今回はごめん」

なんか能動的っすね。能動的というか主体的ですね。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

「仕事があるから行けなかった」って思うんじゃなくて、「いや、とても行きたいんだけど、今の優先順位としてはこっちの仕事をやっとかないと後で自分がすごい苦しい目に合うなとか大変だなって思うので、こちらを選択します」っていう風にして、私たちは自分で決めて自分で自分の人生を歩んでるはずなのに、「お母さんが塾に行けって言うから」ってそんなこと言ってるやつなんかプロになれねえぞっていうのを、暗に本田選手はやっぱりその道で生きてきてる人だから、横の関係で言ったんじゃないかなって思う。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

その一つの道を目指すっていう時に、いろんなことを周りは言う。言う時に「この人がこう言ったからできなかった」「この人がこう言うから無理だ」とかっていうのは、だったらやめれば?っていう話。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

そこを目指してる人にしてみれば、それがあって、例えばお母さんが塾に行けっていう、お父さんが反対してくるみたいなのがあった時に、「じゃあこの人たちが応援してくれるためにはどうしたらいいだろう? 自分は何ができるんだろう?」っていう風にするのが、自分の課題に向き合うということだし、自分の人生を生きるっていうことなんだよっていうのは、すごくね、アドラーですね。私の大好きなアドラーです。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だから、なんか勇気づけしときゃいいとかね、なんか「できるできる」って応援しときゃいいみたいなのは、私はアドラーの勇気づけじゃないなって思うので。本当にそれ、そのまま行ってなれるかなって心配だったら、「いや、それだとね、なれないと思ってんだね」って。「だとすると塾行っといた方がいいと思うんだよね」みたいな話は、当たり前に言うだと思いますね。

アドラーは「叱っちゃダメ」とは言っていない

とはいえ、よくこれ誤解されるところでもあると思うんですけど、「アドラーは叱っちゃいけない」とか言ってるじゃんとか。あと、みか先生みたいにそこまで子どもにはっきり言っちゃうと、子どもがもう萎縮して動けなくなるんじゃないかっていう心配をする親御さんとかもいると思うんですけど、その辺はどうでしょう。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

そうですね。アドラーは「叱っちゃダメ」とは言ってないですよ、ちなみに。効果的に相手のやる気を引き出すとか、相手をやる気にさせるとか、相手が自分でやりたいと思うには、上から悪い評価の「叱る」とか、上からいい評価の「褒める」とかよりも、「あなたのこれに勇気をもらった」とか、「あなたがサッカーしてる姿がめっちゃかっこいいからすごい応援したいって思うよ」みたいな横の関係で貢献に感謝した方が人ってやる気出るよね、っていう仕組みを言ってるだけで、

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「叱っちゃダメ」とか言ってないです。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だから叱っていい場合があるっていうのは、師匠の平本さんも言ってますけど、本人にめちゃくちゃやる気がある場合とか、すごい自分が専門性で尊敬されるカリスマ的存在だったらいいんですよ。叱った方がやる気が出れば。要は、相手がそれを言われた時に、こちらの意図する反応にどっちの方が近づくかっていう話をしていて、勇気づけっていう横から貢献に感謝する方が近づくっていう話をしてるだけだから、叱っちゃダメとは言ってないです。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

プロのサッカー選手になって欲しいなって親も思った時に、全然練習してないし、全然一日中こたつでゴロゴロしてるけれども、「できるできる、素敵素敵」って言ってて、近づきますか?って言うと、近づいてないっす。それっていう部分だと思うんですよ。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

私の言い方は確かに冷たかったかもしれないけど、いつも冷たくしてるわけじゃないんですよ。相手がどう言ったらやる気になるだろうとか、どう言ったら自分の人生を生きるようになるだろうっていうところで、「文句ばっか言ってんじゃねえよ」のターンをさっき言ったのですごく冷たく聞こえるかもしれないんですけど、いつも冷たく言ってるわけじゃなくて。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

受験勉強、すごい今忙しいし、宿題もなんか大変なんだって言ってたら、「そうなんだ、大変なんだね」って言いますよ。だって大変そうだもん。「大変なんだね。そんな中頑張ってんだね。なんか先生できることある?」とか聞きます。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

その上で私がビシッと言ってたのは何かって言うと、「お母さんのせいでこれができなかった」「大体お母さんが塾行けって言うから言ってやってんのに」みたいな発言をしたら、「それ幸せにならないよ、あなた」っていうところ。「甘ったれてんじゃねえよ」ってなってたのはそこで。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

その言い方は確かに冷たかったかもしれないし、子どもはある程度萎縮してましたよ。でも、ずっと萎縮されてるわけでもないんですよ。だから、萎縮しちゃったら、萎縮させちゃったかもしれないから怖いなって思ったかもしれないんだけど、私別に怒ってるわけじゃなくって、「あなただったら自分の人生を自分の足で選んで歩いていけると思うから」っていうのも伝えていたし、

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「あなたにはあなたに期待をして『受験頑張ってみれば?』って、お金を出してくれる親御さんがついているわけでしょ。すごい幸せなことだよね」と。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

「これを断ることだってできる。でも、その親御さんの気持ちに対して文句を言い続けるっていうのは、私は見ていて気持ちが良くないし、もったいないと思うよ」って。「今聞いてみてどう思った? どうしたいと思う? 伝えることある?」ってちゃんとその後に言ってます。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

ビシッと言って「出ていけ」って言ってそのままとかじゃないんですよ。これがアドラー的かなって私は思うんですけど、その事実は事実として伝えて、自分の意見を伝えた上で、その上で「応援しているよ。あなたはどうしたいの?」っていうところを聞いていくし、対話をしていくしっていうところなので、別に萎縮だけさせてたわけではないです。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

そういう点で言うと、ビシッと言うところはビシッと言うところあったんだけれども、「どうやって自分の人生に生きていきたいの?」みたいなところは、また別の動画でも自分の人生の生き方みたいな話とかも多分生徒としてると思うので、その辺はまた別の動画で見て もらえたらなと。

目標の立て方とか。

生徒T
生徒T
のんちゃん先生
のんちゃん先生

目標の立て方とかね。そうですね。別にプロサッカー選手になんなくてもなってもどっちでもいいわけですよ。「あなたはあなたで素敵なんだ」っていう根本のスタンスがある上での話かなと思いますね。

まとめると

のんちゃん先生
のんちゃん先生

本田選手がおっしゃることをごもっとも、ごもっともで、私はこれこそがアドラーの横の関係であり、相手の課題っていうものに対して「自分の人生を歩んでいくんだよ」っていうアドバイスなんだと思うんですよね。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

だから「誰々がこう言ったからこうやらなきゃいけないんだもん」って言っている人、めちゃくちゃ格好悪いじゃないですか。大人でも子どもも一緒で、自分で選んで自分で決めているっていうことを、感覚として持つだけで大人も生きやすくなるんですよ、すごく。

のんちゃん先生
のんちゃん先生

私自身、その飲み会の断り方の言い方を変えただけで、すごく「これをやりたくないのにやってんだよ」っていうよりは、「私は選択をしてこれをしている」っていう風に進めるようになったので、すごくお勧めだし、本田選手ますますファンになりましたって思いました。

この記事を書いた人: 梶谷希美

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