前回は、ボコボコに鍛えられた3年目から5年目のみかん先生の歴史を振り返りました。今回は、その後学校を異動し、
先生同士のいじめや、その中でもどういった行動していたのか?についてお話します!
先生、前回の続きについて、教えてもらえたらなと思います。
先生に嫌味を言われ、職員室嫌いになった時期
学校を異動して、別に私は何もこたえてなかったんですけど、でも「ああ、そういう言われ方をするんだな」となったのが、その次の1年生担任です。
「やっぱり、あの地区から来た人間って、そうやって仕事してますかって感じしますよね」って。
嫌な言い方。
メッチャ言われましたね。やりたがりなタイプ。
痛いですね。
いろいろ言われましたね。この頃ですよ。すっごい職員室嫌いになって。「こういう先生たちがいるから、教育が廃っていくんだ。チクショー」って思った感じで、ほぼ職員室には寄りつかず、教室で仕事していた。
クラス運営に慣れ、うまくいっていた
この時持った1年生、いろんな子がいたんだけど、前、1年生って、私にとってはパラダイスなんです。楽チーンっていう。だから、この年も、どハマりですサッカーに。この頃に、女子チームに入って、毎日シャトルランを走りますみたいなことをやっていた時期だから、6時くらいで退勤時間を過ぎたら「お疲れ様です」みたいに帰っていたし、
1年目だから、たいした公務文書もなくて、公務文書ってのは、生徒主任、なんとか主任とかいうのもなくて、私にとっては「今年みたいな年が毎年続けば、私趣味が充実するのにな」って、思うくらいの感じで、
1年目だから、たいした公務文書もなくて、公務文書ってのは、生徒主任、なんとか主任とかいうのもなくて、私にとっては「今年みたいな年が毎年続けば、私趣味が充実するのにな」って、思うくらいの感じで、
この年、ずっと歌をやっているんですけど、歌の方も、たくさんのコンクールとかに挑戦したりして、賞を獲ったりしていた時期で、仕事の優先順位が落ちていても、楽しいクラス作れますくらいになっていたので、サッカーと歌を歌って、自分のクラスはわりと、1年生でも子供たちが動くようにっていうのをやっていたのが、この時期です。
楽しかったけどね、すごく。すごい楽しかった。「アナと雪の女王」でダンス作ったりね。すごい楽しかった。この年に、初めて1年生を自由にさせてみたら、何ができるかという実験をしたんですけど。
と言うと。
最後、1年間が終わる時に「記念になるものを作りたい」と1年生が言っていて、彼らが言えば、なんでも作れるだろうなと思ったから「いいんじゃない。好きなものを作ってみたらいいよ」って言って「なんでもみんなは作れるよ」って、決まったものが、巨大モルモットで。
と言うと。
巨大モルモットを先生にプレゼントするというのが、決まっていて、黒板に書いてあって「あ、何のために?」って思ったけど「好きにやったらいい」って言ったし「先生が喜ぶと思ったからです」って言ったから「すごく嬉しい」って言って。教室のこんな
でか!
こんな巨大モルモットを作りましたね。新聞紙で。超おもしろかった。「大切にしてください」って貰ったんだけど、どうやって持って帰ろうみたいな。持って帰れないけどなって思いながら受け取って、こっそり解体しました。すごい面白かったですね、この1年生。
だいぶその頃には、スキルというか、運営というかが、できるようになって、クラスという点では、すごくうまくいくようになっていたという感じですよね。
そうですね。
1年生だったということもあるし。
決まりを守らず先生に敵視されていた
あまり、困ったことというのは、このへんはないかな。その後の5年生。この後、5年生を持つんですけど。
また5年生。1、5、1、5みたいな。
そうなんですよ。その時の5年生を持つ時に、引き継ぎっていうのを受けるんですけど、引き継ぎされる時に「こんなふうに酷くて、こんなこともできなくて、こんなに大変な5年生だ」っていう引き継ぎを、元4年生の担任の先生たちから受けた時に
「例えばこういうふに言ったら、こういうふうに返ってくる感じですか」みたいなふうに、私が聞いた時に「あなたの経験で経験したような子たちじゃないから、なめないでくれる?」
みたいなふうに言われたくらいに、私が職員室に溶け込んでいなかったという話です、これは。なんかすごく敵視されてたんですよね、時間になったら出て行くし、楽しそうに。1年生もすごい良いクラスにしていたんでしょうね、たぶんその時で言えば。
でも、その地区でやっている「ここまでは守りましょう」みたいなことを、全然守っていなくて、私。
ここまではと言うと。
一年生は校庭で遊んではいけない?
例えば1年生は1学期間は、校庭で遊んではいけませんっていうのが、あったんですよ。危険だからって。「そんなことあるか」って思って。「校庭だぞ」と思ったんですよ、私は。
校庭で1学期間遊んじゃいけない理由は何だ。そんな危険か?校庭。って思った所があって、でも、勝手に遊びには行かせていなかったと思うけど、大縄は、大波小波はやっていいけど、1年生に八の字飛びをさせてはいけませんというのがあったんです。危険だからって。八の字飛びって、分かりますか。
こういう。
こうやったら、こうやって子供たちが飛んでいくやつ。「そんなわけあるか。私前の1年生でバンバン8の字飛び、飛ばせてたぞ」と思って、それはやっちゃいました。
なるほどね。
やれるのに、なんで子供が勝手にやらないと決めるんだろう
みんなだったら、できるよって。ババっと飛べちゃっていたわけですよ。指導方法とかも、いろいろあって、ちゃんと手順を追って、やりましたよ。でも「1、2、3」とかって飛んでいるのを、他のクラスから見て「何、あのクラス」ってなるわけじゃないですか。
それは今となって思えば、大変に申し訳なかったと思うけど、若気の至りで、やれることを、なんで、子供が勝手にやらないと決めて、やらないんだろうと思っていたから、係活動っていうのも、給食当番とか、
お手紙当番っていうのは、子供たちにやっても、勝手なお手伝い係とか、新聞係みたいなのは「1年生には早い」って言われていたのに、私は勝手に作っちゃったみたいなことを、やっていたので「何?」みたいな、違う地区から来た、調子乗りの、自分が楽なクラスを持ったからっていって「うちのクラスだけできています」みたいな嫌な風を吹かせる、嫌な女みたいなあれです。それを持たせたのは私です。
という状態にあったので、5年生の担任をと言われた時に、すごい、そうやって言われたんですね。
で、どうなったんですか。
メッチャ良い子たちだった。メッチャ良い子たち。でも、勢いがありましたね。やんちゃだったし、いろいろ大変なことはあったんですけれども、この5年生は、そんなに大変だと思わずに過ぎたんだろうな。
この年に、初めて研修主任というのをするんですよ。研修主任っていうのは、学校が「これを研修します」って言ったやつの、全体を取り仕切る人で、生徒指導主任と比べると、15倍くらい大変な主任なんですけど、メッチャ大変です。生徒指導主任は、自分で考えなきゃいけないこと、そんなにないので。大変な主任を任されるんだけど、それはそれで、楽しくやったかな。
5年生の方は、結構始まった瞬間、始まった時は、ちょっと荒れているなとか、ちょっと反発心があるなと感じたけど、すぐに、良いクラスというか、元気なクラスになっていったという感じ。
そうだったと思う。この頃には、たいして戦略とか、特になかったと思うけど、
もうできるようになっていたから。
一緒に楽しんでいた。5年生が2回目っていうのもあったし。そんなに何もなかったと記憶している。
周りの、みかん先生に引き継いだ先生からは「あれ?」みたいな「大変なクラスだったんだけどな」みたいな感じにはならなかった。
先生と仲良くなれないけど苦労しながらもやっていた
ええとね、ここからね、しばらくね、私の態度が悪かったんだけど、絶対に。「それでできていると思うなよ」みたいな。何回か言われたな。
はい。
私が職員室大嫌いな感じ。でも、この5年生で一緒に担任になった人たちと、すごく打ち解けて、楽しくだんだんなっていくんだけど、
だいたい良い、文句ばかり言っている「担任が、ろくでもねえから、こんなふうになるんだ」みたいな見方をしていたから、あんまり仲良くはなれていないから、研修主任としては、とても苦労しましたみたいな感じですかね。
なるほど。
だったと思います。この頃、サッカーにはまっているので、そんなに仕事仕事というよりは。
サッカー、サッカー
サッカーやります、歌歌いますみたいな感じだったかな。この頃までは。
このまま6年生、持ち上がるんです。
ほうほう。
わからないことは、徹底的に学んで克服
1クラス、どうしようもなくなったんです。5年生終わる頃に。1クラス、どうしようもなくなって、一緒にやっていたメンバーで、1人はどうしても、移動ということが決まっていて、その後の、持ち上がった6年生というのを考えた時に、大変な子は、4クラスいたんですよ、
4クラスあったんだけど、大変な子は、私ともう一人の方と、割る2にしないと、次の学年成り立たないという状態になったので、クラス分けをする時に、親が大変、子供が大変。暴れちゃうとか、寝ちゃうとか、学習支援的に必要っていう子たちを、他の2クラスからごそっと抜いて、割る2したんです。
だから、この後持った6年生っていうのが「こんな濃いことがあるんだ」っていうクラスになったという5年生です。なんで、こんなうまく行くのみたいなのは、いろんな人からいろいろ、この頃とか、すごい嫌味な感じでいわれたりしていたんだけど、
ずっと思っていたのは、私だから、ずっと続いているんですよ。サッカーの話も、別にサッカーばかり馬鹿みたいにやっていたわけじゃなくて、1年生の時には、道徳の研究会に入って、道徳の勉強会に足を運んで、その方々に教えをいただいたし、
その後の5年で体育となったので「サッカーだ。体育だ」ってなったら、体育の本をメッチャ買って、体育というのは、どういうふうにできているのか、運動量が全てを言うみたいな、全部測って、やってやれみたいなのが書いてあったから「全部測ってやってやらあ」みたいにやっているんですよ、
1学期間とかで、全部、私が何の指示をしなくても、ラジカセで嵐の歌が流れたらこれ、SMAPの歌が流れたらこれみたいな、時代があれですけど、作って、子供たちが、それが流れたが、こっちの活動っていうのを、指示なくできたら、子供たちの運動量ってのを、すごい確保できるから「それが体育だ」みたいな。
体操選手がやっている跳び箱の画像とかを、何度も見て、
そんなのまで、見てたんですか。
見る。だって、どうやって飛んだらいいか、分からないじゃない。自分があまり飛べないのに。そこに対する補助の仕方とかいうのも、すっごい動画、体育は動画だと思って見て、跳び箱の補助の仕方というのが分かったんです、私。どうやったら、皆3段が飛べるのか、開脚跳びで。分かったら、全員飛べたんですよ。
すごい。
みたいなことは、ずっとやっていて、
できなかったことだったり、悔しかったことを、徹底的に全部克服していったという感じですよね。
学べばできるんだというのが、私のたぶん、成功体験だったんだと思う。ここまで。だから、1年生を持った時も、5年生を持った時も「これだ」と思ったものを、とにかく学んでやる。今言った5年生で言えば、学活。学活の仕方。
子供の会議というのは、どういうものなのかみたいな所を、学活の研究をしている所にも通ったし、いろんな研究会の所にも通って、本も読んで、学活ってどうやれば、子供が生き生きするのかっていうのを学んだし、この頃社会とか、理科とかいう所も学んで、どうすればいいんだみたいなのを、すごい突き詰めてやってきた。とにかく。
とにかく。
組体操が中止になったことがきっかけでのめりこんだダンス
から、そこがたぶん、自分の成功体験で、学べば学ぶだけ、教えを請えば請うだけ、身につくんだと思ったんです。だから、見に行きたい先生の授業は、見に行っていたし「見に行かせてください」と言って、学んでいたしというのを、とことんしてきたなというのは、思います。
でも、その中での一番の私の中の大きかったことは、さっき言っていた5年生を担任した後の6年生。大変だという、引き継ぎの封筒が、引き継ぎ資料で埋まっていて、全部赤文字みたいな、6年生を持った時の6年生、すごいエネルギーがある元気な子たちでしたけど、そこで組体操が全面禁止になるのです。
時代の流れで。
そう。5、6年生というのは、組体操だったんです。組体操だから、だいたい決まっているんですよ。トンボやって、こうやってみたいな。全部決まっているんですけど。
ピラミッドやってみたいな。
そう。それを、どの音楽と、どう組み合わせようだったんだけど、集団行動と行動力とダンスで、15分間みたいなふうに、突然なったのが、この後持った6年生で、でも、6年生の運動会の表現、ダンスとか組体操と呼ばれるものって、一番の見せ所じゃないですか。
見せ所が、組体操がなくなったからといって、しょぼくなるのは、絶対に嫌だった。私は、もともとずっと自分がクラシックバレエをやっていて、表現が好きだったというのもあったし、そこまでのいろんな表現を、自分が受け持ってきたというのもあったんだけど「やります」って手を上げたんです。このやりたがりが。
表現力の、表現を作るという所。
表現の担当です。
表現を担当する。
担当決というのを、担任の先生たちとするのです。「私と競争をやります」「団体競技やります」表現が一番重いから、若手が持つという意味で言えば、まあ、若手なんで、その頃。「はい、やります」って言って、手を上げたはいいものの、どうしていいか、分からなかった。
ダンスですものね、その年から。
集団行動やったことないしって。日体大の集団行動、皆さんYouTube見たことありますか。
ジャッジャッジャッジャッ
すっごい格好いいやつを、とりあえず見漁るんですけど、これを?小学生が?みたいに思うじゃないですか。どのように?みたいな。やはり、彼らが伸び伸び表現する部分というのを、作りたいなって思った時に、ヒップホップのダンスみたいな所を取り入れたら、嬉しいだろうな。格好いい、楽しいと思って、ヒップホップで検索して、踊ってみるわけですけど、鏡に写る私が、とっても格好悪いわけです。
「ああ、格好悪い」みたいな「こんなの誰も踊りたくない」って思ったときに、どうしようと思って、この6年生担任になった時に「よし、ダンスを習おう」と思って、この時に、一旦なんとなく、自分の教え方という意味での型が分かったサッカー、フットサルをポイってして、ダンス教室に入りまして、
ヒップホップの体の使い方から、ステップの踏み方から、ダウンとかアップみたいな所をやって、何が子供たちにとって、動きやすくて、簡単で、そして、見栄えがするんだろうという動きは、やってみないと、分からないなと思って、ダンス教室に通っては、YouTubeのダンスの動画を見、
すごいな
鏡の前でまずやってみるみたいな、一番迷惑がっていたのは、うちの犬と旦那なんですけど、メッチャ踊って、汗だくになっては「こっちかな、あっちかな」というのをやったのが、この6年生の時です。
本当にいろんなダンスを見て、その時に流行っていた音楽というのも聞いて、いっぱい踊って、いっぱい集団行動も見て、とにかく頭の中に入れようと思って、入れて、降りてくるのを待つみたいな。何かいいのが、降りてくるはずと思って、作りましたね、15分間作りきりました。すごく格好良かった。
ああ、良いっすね。
その頃、パイレーツオブカリビアンが流行っていて、パイレーツオブカリビアンと海賊のダンスを、ヒップホップで取り入れて、そこに、集団行動の、皆で作る動きみたいなのを取り入れて、作ったんですけど、
メッチャ格好いいのができたなみたいな所から、ダンスにはまり込んでいくわけなんですえど、そんなふうに、やっぱり、小学校の先生だけじゃないのかもしれないんだけど、当たり前に「教えてください」と言われるジャンルの幅が広すぎという、
そんな人は、サッカーもできて、算数もできて、国語もできて、ダンスもできるわけじゃねえみたいな所。英語も、私は英語は、ちょっと、なんちゃって留学をしているおかげで、得意だったんですけど、英語もだし、最近はプログラミングもだしみたいな感じで、なんでもかんでもできている。
全体として任されるという職業だったので、私がラッキーだったのは、それ全部やってやろうと思って、いろいろ学んだから、あまり人は知らないと思うのですよ。こうやれば、三段跳びは、皆飛べますみたいなの知らないじゃないですか、皆。
そんなの知る必要もないし、知らないけど、学んだし、逆上がりをどういうふうな手順で、どういうふうな筋肉を鍛えれば、できるようになるみたいなのも、学んだし、どうやってやれば、人の声が出るか、歌が歌えるかみたいなのも学んだし、ダンスも学んだし、サッカーも学んだしみたいな感じの、
幅広く学ばせていただいたのは、すごくありがたいなと思うけど、それだけ、結構大変な職業なんじゃないかなと思って。1年生で言うと、シモの世話から、6年生で言うと、思春期のケアまでみたいな所と、教科指導みたいな所が、全部入ってきて「やれないと崩壊っすよ」みたいな「なんだその職業。どういうスーパーマンを求めてるんだよ」みたいな所で、わりとがむしゃらにやり切った、期間なんじゃないかなっていうふうには思います。
出来ないといけないことが多すぎる職業
本当、何から何まで、徹底的に克服するみたいな
克服できていない所もあるよ。でも、これだけいろいろ任されるものだったから、悔しい所は自分でやってきたけれど、子供たちを頼るという所も、学ばせていただいた。「私は分からん」と言って。「分からないから、助けて」も、子供たちに言えるようになった。
言わないとしょうがない。どうしようもなかったっていう、今小学校の先生って、そういう職業なんじゃないかなって思うし、こんな、ダンススクールにも通います。サッカーチームも作りますみたいな人って、ちょっとおかしいと思うんです、頭が。
ちょっといないと思います。
頭おかしい人。そんなこと、誰にも勧めたくない。本当に「そんなことしないと、いけませんか」だと、職業的にちょっとおかしいなって。
ハードル高すぎですよね。
本当。本当、そう思うんですよね。元々私は絵が得意だったから、絵もあれだけど、絵が苦手な方からして、図工の授業は地獄ですよ。何を、どこをどうしようと思うじゃないですか。くらいの幅広いものを「はーい、やってみて。教えてね」みたいなふうに、
そういう、何の研修もなく「はい」って渡される。私は、成功体験に味をしめたという所と、元々負けず嫌いという所と、学ぶのが好きっていうあたりで、わりと嬉々としてやっていた所があった気はするけど、
一般的に言ったら、大変迷惑な話だなって思いますよ。それが、小学校の先生じゃなくなって、何の役に立つんですか。立たないですよと思うから、もっといろんなシステムが見直されたらいいなとは、すごく思う所です。
いや、その通りですよね。ちなみに次回は、今みかん先生がやっている活動が、どういったものなのか、そして、それをやるきっかけって、どういったことなのかを、ぜひ話してもらうと嬉しいなと思っています。中編になってしまいます。後編のつもりだったんだけど。
じゃあ、今の活動につながったのが何かというと、できるようになって思ったことは、でも潰しにかかってくる人たちの方が、多いっていう。
潰しにかかってくる?
だって、崩壊クラスの立て直しをやって、毎年崩壊クラス持っているわけ。立て直しても、立て直しても、潰れたものが上がってくる。そして、上がった先で、聞く話は潰れた話なんだよ。私、目指すものがなくなったのが、最後なので、ずっと目指している方がいて、良いクラスが持てる人が、見当たらなくなって「じゃあ、何を目指すのここから」って思った。
「もう違う道行こう」って思ったのが、ウエディングプランナーになろうと思ったんです。
全然違うじゃん。恋バナ、大好きだもんね。
違う、違う。ずっと崩壊の立て直しをやってきたわけだよ。「戦うぞ」みたいな。幸せな世界を作る人になりたいなって思ったの。これ、全部撮ってるの?(笑)
Youtube「おしえてみかん先生!」
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